インフルエンザの関係で、授業をすること自体が危ぶまれましたが、何とか2日目を終えました。2日間5クラス10時間の授業、終了です。
生徒は2日間、本当によくやってくれました。
これでうまくいかなかったら、すべて私のせいです。
そして…やっぱり疲れました(笑)
さぁ、論文サボっていたので、授業も終えたことだし、どんどん書かないとね!
松浜中学校の皆さん、本当にありがとうございました!
(なお、来週には授業アンケートが届く予定)
2009年12月10日木曜日
今までの10年、これからの10年
現場で10年間、授業技術・指導技術を身に付けることにこだわってきた。
大学院で学び、これから10年間は、その技術を用いて、以下に生徒に「知覚・感受力」を身に付けるか、ということにこだわっていくだろう。
どちらも、僕の周辺で同様なことをやっている中学校音楽教師がいない。
僕のやってきたことは、やっていこうとすることは、それなりに意味があるのではないかと思っている。
ただ、10年後はわからない。
(大学院に来た時も、正直今後10年どうするか見えない状態で来た。だから僕にとって大学院での学びはとても意味があったと思う)
世の中はどうなっているか、自分はどうなっているか。
そして自分はそこまで突っ走れるか。
*だいたい壮大なことを・自己中心的なことを考えている時は研究・論文に行き詰っている時です。
大学院で学び、これから10年間は、その技術を用いて、以下に生徒に「知覚・感受力」を身に付けるか、ということにこだわっていくだろう。
どちらも、僕の周辺で同様なことをやっている中学校音楽教師がいない。
僕のやってきたことは、やっていこうとすることは、それなりに意味があるのではないかと思っている。
ただ、10年後はわからない。
(大学院に来た時も、正直今後10年どうするか見えない状態で来た。だから僕にとって大学院での学びはとても意味があったと思う)
世の中はどうなっているか、自分はどうなっているか。
そして自分はそこまで突っ走れるか。
*だいたい壮大なことを・自己中心的なことを考えている時は研究・論文に行き詰っている時です。
2009年12月9日水曜日
2009年12月8日火曜日
ゼミメモ
・論文の概要を持って行く。
論文はまだまだだが、結論や、そこまでに書きたいことなど、ゴールやルートは何とか見えている。
実は締切を間違えてあわてて作ってしまったのだが、かえって作ってよかった。
もちろん、締切までに論文作成と平行して修正をし続けていく。
・4日の授業報告をする。
1・2年の鑑賞ノートのまとめを持参し、授業の概要を説明。
(3年は間に合わなかった。ゼミ後に作成)
先生からは、「どんな力を付けたいかをもっと明確に。生徒が気付いたことを述べて『先生も気付かなかった』というのは寂しい」というご指摘を受ける。
ごもっとも。正直、生徒が勝手に気付いてそれを評価してあげればそれでいいと思っていたので、甘かった。そういえば先生はいつも「鑑賞の授業は教師側がどれだけ教材分析したかにかかっている」とおっしゃっている。普段授業技術しか考えなかった自分には、違う負荷をかけて取り組まなくてはならない。僕の力不足もあるので、それこそ仲間にいろんな角度から予想される気付きを聞いてみようかな。
今週は11日に授業。
来週1週間は、授業分析やら論文執筆やら、最大の山場だと思うので、篭ります(笑)
論文はまだまだだが、結論や、そこまでに書きたいことなど、ゴールやルートは何とか見えている。
実は締切を間違えてあわてて作ってしまったのだが、かえって作ってよかった。
もちろん、締切までに論文作成と平行して修正をし続けていく。
・4日の授業報告をする。
1・2年の鑑賞ノートのまとめを持参し、授業の概要を説明。
(3年は間に合わなかった。ゼミ後に作成)
先生からは、「どんな力を付けたいかをもっと明確に。生徒が気付いたことを述べて『先生も気付かなかった』というのは寂しい」というご指摘を受ける。
ごもっとも。正直、生徒が勝手に気付いてそれを評価してあげればそれでいいと思っていたので、甘かった。そういえば先生はいつも「鑑賞の授業は教師側がどれだけ教材分析したかにかかっている」とおっしゃっている。普段授業技術しか考えなかった自分には、違う負荷をかけて取り組まなくてはならない。僕の力不足もあるので、それこそ仲間にいろんな角度から予想される気付きを聞いてみようかな。
今週は11日に授業。
来週1週間は、授業分析やら論文執筆やら、最大の山場だと思うので、篭ります(笑)
2009年12月5日土曜日
研究授業初日終了
いよいよ研究授業。
1日で1年生1クラス、2・3年生2クラスずつ授業しました。
久々の5時間ぶっ続け授業は…やっぱり疲れました。
結局何回「魔王」聴いたんだか(笑)
生徒は、大変協力的で(?)、授業自体はやりやすく、助かりました。
プラン自体には問題があったかもしれないけど…。
まだしっかり振り返っているわけではありませんが、やはり「比較聴取」は有効だなぁ、と何となくですが感じました。
来週は2時間扱いの2時間目。焦点を絞って鑑賞・意見交流した後に批評文を書きます。
批評文を読み合わせる時間が取れるか…? が心配です。(本当は3時間扱いなんだろうな)
1日で1年生1クラス、2・3年生2クラスずつ授業しました。
久々の5時間ぶっ続け授業は…やっぱり疲れました。
結局何回「魔王」聴いたんだか(笑)
生徒は、大変協力的で(?)、授業自体はやりやすく、助かりました。
プラン自体には問題があったかもしれないけど…。
まだしっかり振り返っているわけではありませんが、やはり「比較聴取」は有効だなぁ、と何となくですが感じました。
来週は2時間扱いの2時間目。焦点を絞って鑑賞・意見交流した後に批評文を書きます。
批評文を読み合わせる時間が取れるか…? が心配です。(本当は3時間扱いなんだろうな)
2009年12月3日木曜日
2009年12月2日水曜日
上音研 研究大会
ちょっと前の話になるけど、11月18日に行われた上音研の研究大会に行ってきた。
中学2年生で、長唄を教材にした研究公開授業を参観後、研究協議が行われた。
授業は、よく難しいことに果敢にチャレンジしたな~という感じで、大きな刺激を受けた。
で、思ったこと。
印刷された上音研の研究概要や指導案、授業後の研究協議や指導を通して、1回も(本当に1回も)「知覚・感受」という言葉が出てこなかったことに、驚きを感じた。
これは、もう上音研では「知覚・感受」の話のレベル以上のことをやっていますよ、ということになるのだろうか。
それとも、「知覚・感受」の話は、現場ではそぐわないよ、ということになるのだろうか。
それとも…。
中学2年生で、長唄を教材にした研究公開授業を参観後、研究協議が行われた。
授業は、よく難しいことに果敢にチャレンジしたな~という感じで、大きな刺激を受けた。
で、思ったこと。
印刷された上音研の研究概要や指導案、授業後の研究協議や指導を通して、1回も(本当に1回も)「知覚・感受」という言葉が出てこなかったことに、驚きを感じた。
これは、もう上音研では「知覚・感受」の話のレベル以上のことをやっていますよ、ということになるのだろうか。
それとも、「知覚・感受」の話は、現場ではそぐわないよ、ということになるのだろうか。
それとも…。
2009年12月1日火曜日
ゼミメモ
今日は論文を少々お休みして(?)、今週と来週に行う研究授業の指導案を見ていただく。
1年生1クラス、2・3年生2クラスずつの、計5クラスで、2時間扱いの授業をする。
計10時間、夏は16時間。
現場で10回くらい研究授業したから、これでやっと35回を超えたところか。
まだまだ甘いわけだ。
でも、大学院に来てたくさん研究授業ができたのは幸運だった(もっとやるべきだったかな?)。
現場に出たら積極的にやっていきたいものだ。100回目指して。
実践の概要と、研究の概要、各学年の実践の授業プラン・授業モデル・学習指導案を含めたら20ページを超えるものになった。
せっかくなんだからこれを論文で生かさなきゃならん(笑)
ということは生かすような授業をしなきゃならん…。
指導教官の先生からは指導よりも励ましの言葉をいただいたので、残り時間は細かい授業計画とその準備をがんばりたい。
最初の授業は12月4日(金)です。
(5コマ授業できる体力と気力が一番心配か?)
1年生1クラス、2・3年生2クラスずつの、計5クラスで、2時間扱いの授業をする。
計10時間、夏は16時間。
現場で10回くらい研究授業したから、これでやっと35回を超えたところか。
まだまだ甘いわけだ。
でも、大学院に来てたくさん研究授業ができたのは幸運だった(もっとやるべきだったかな?)。
現場に出たら積極的にやっていきたいものだ。100回目指して。
実践の概要と、研究の概要、各学年の実践の授業プラン・授業モデル・学習指導案を含めたら20ページを超えるものになった。
せっかくなんだからこれを論文で生かさなきゃならん(笑)
ということは生かすような授業をしなきゃならん…。
指導教官の先生からは指導よりも励ましの言葉をいただいたので、残り時間は細かい授業計画とその準備をがんばりたい。
最初の授業は12月4日(金)です。
(5コマ授業できる体力と気力が一番心配か?)
2009年11月30日月曜日
論文読み合わせ会
同じゼミの3人が集まった。
現時点までにできたものを持ち寄って、
・誤字・脱字・誤表記のみをチェックしてもらう
・最初っから読み進めて違和感がないかチェックする
の2点が目的。
結局、お互い1章の途中までしかできなかった。
定期的に読み合おう、ということになった。
おかげさまで、自分では気付かない、「これは漢字でいいのか」「これはひらがなでいいのか」などのチェックができて良かった。あとで調べてみたら、ちゃんと引用先を踏まえていることに我ながら驚いた。
例えば、「『見いだす』は『見い出す』じゃなくていいの?」と聞かれ、不安になったが、ちゃんと中等教育資料の大熊先生の論文には『見いだす』になっていた。
ただ、これは第1章の前半の方の話なので、論文全体で統一されているかはやはり不安(笑)
ただ、「違和感」の方では、半年前に書いた序論の書き出しが「?!」って感じで、違う意味で驚いた。
やっぱり推敲は必要です。
(学級通信やブログを書くと時に推敲するクセをつけていなかったのはまずかった)
来週金曜日からいよいよ研究授業。
今週やっと指導案を書き上げました。
来週は、具体的な授業準備をしなきゃです。
アンケートもよく読まないと…。
現時点までにできたものを持ち寄って、
・誤字・脱字・誤表記のみをチェックしてもらう
・最初っから読み進めて違和感がないかチェックする
の2点が目的。
結局、お互い1章の途中までしかできなかった。
定期的に読み合おう、ということになった。
おかげさまで、自分では気付かない、「これは漢字でいいのか」「これはひらがなでいいのか」などのチェックができて良かった。あとで調べてみたら、ちゃんと引用先を踏まえていることに我ながら驚いた。
例えば、「『見いだす』は『見い出す』じゃなくていいの?」と聞かれ、不安になったが、ちゃんと中等教育資料の大熊先生の論文には『見いだす』になっていた。
ただ、これは第1章の前半の方の話なので、論文全体で統一されているかはやはり不安(笑)
ただ、「違和感」の方では、半年前に書いた序論の書き出しが「?!」って感じで、違う意味で驚いた。
やっぱり推敲は必要です。
(学級通信やブログを書くと時に推敲するクセをつけていなかったのはまずかった)
来週金曜日からいよいよ研究授業。
今週やっと指導案を書き上げました。
来週は、具体的な授業準備をしなきゃです。
アンケートもよく読まないと…。
2009年11月26日木曜日
2009年11月25日水曜日
異邦人の会 特別例会
何年振りかなぁ、まじめにレポート作って例会したの。
他の院生2名とともに、「中学校音楽科におけるペーパーテストにあり方について考える」をテーマに行った。2人とも、来春には現場に出るため、いろいろ準備しているようだが、やはり心配なことは多々あるわけで、そのうちの一つが「評価」ということになるのだろう。
僕自身も、このブログで書いたが、この機会にきちんと見直さなければならない点で、大学院に来てから学んだことを踏まえて、現場を振り返り、もし現場に戻ったらこうしたいという試案を作成した。
やはり、キーワードは「知覚・感受力をはかるペーパーテスト」ということになる。
これ、先行実践している人、いませんかね? いたらぜひ発信してほしいと思います。こんな田舎にも届くくらい大々的に。
次回は来年1月に、パフォーマンステストについて考えようということになった。
現在の研究を現場に生かすためのエクササイズとして貴重な勉強の機会となった。
お2人、ご協力ありがとね。
さ、論文も進めんと。授業の準備もしなくては…。
他の院生2名とともに、「中学校音楽科におけるペーパーテストにあり方について考える」をテーマに行った。2人とも、来春には現場に出るため、いろいろ準備しているようだが、やはり心配なことは多々あるわけで、そのうちの一つが「評価」ということになるのだろう。
僕自身も、このブログで書いたが、この機会にきちんと見直さなければならない点で、大学院に来てから学んだことを踏まえて、現場を振り返り、もし現場に戻ったらこうしたいという試案を作成した。
やはり、キーワードは「知覚・感受力をはかるペーパーテスト」ということになる。
これ、先行実践している人、いませんかね? いたらぜひ発信してほしいと思います。こんな田舎にも届くくらい大々的に。
次回は来年1月に、パフォーマンステストについて考えようということになった。
現在の研究を現場に生かすためのエクササイズとして貴重な勉強の機会となった。
お2人、ご協力ありがとね。
さ、論文も進めんと。授業の準備もしなくては…。
2009年11月20日金曜日
2009年11月14日土曜日
2009年11月13日金曜日
2009年11月7日土曜日
2009年11月6日金曜日
目指す先は遠い
全日音研にて、中学校部会の鑑賞の公開授業2つ参観してきた。
どちらの授業でも、生徒がグループになって意見交流する時、「そっち!?」「そう書くのかぁ…」というリアクションが多くあった。
そんな姿を見て、何となく、「あぁ、生徒たちは「正しい聴き方、正しい書き方」を教えてほしいんだろうなぁ」と感じた。
もちろん、これからの音楽教育は、「正しいもの」を求める姿勢より、「自分にとってどう価値判断するか、他人の価値判断認めることができるか」の方が重要になっていくだろう。
だから、生徒が自分の意見に不安をもつような授業展開をしていてはいけないのだろう。
まだまだ先は遠そうな感じがした。
どちらの授業でも、生徒がグループになって意見交流する時、「そっち!?」「そう書くのかぁ…」というリアクションが多くあった。
そんな姿を見て、何となく、「あぁ、生徒たちは「正しい聴き方、正しい書き方」を教えてほしいんだろうなぁ」と感じた。
もちろん、これからの音楽教育は、「正しいもの」を求める姿勢より、「自分にとってどう価値判断するか、他人の価値判断認めることができるか」の方が重要になっていくだろう。
だから、生徒が自分の意見に不安をもつような授業展開をしていてはいけないのだろう。
まだまだ先は遠そうな感じがした。
2009年11月3日火曜日
2009年11月2日月曜日
音楽科におけるパフォーマンス課題
西岡加名恵編『「逆向き設計」で確かな学力を保障する』明治図書 2008年
最終的な到達段階を想定して、それをはかるための「パフォーマンス課題」を設定し、そこに至るまでの指導内容を考え、単元を組み立てる。
音楽科における「パフォーマンス課題」といえば実技テストだ。でもこれは「表現領域」に限ったものになる。
では、「鑑賞領域」における「パフォーマンス課題」といえば何か。それが「批評文」になるのだろう。
この著書では、パフォーマンス課題のシナリオ作りや、評価のためのルーブリック作りの仕方などが大変参考になった。(第2章のまとめに使いたい)
今度、ペーパーテストについて勉強会をしようと思うが、第2回はこのパフォーマンステストを取り上げようかなぁ。この2つの位置づけ、そしてこの2つにどう至るように授業・単元を設計するか、さらに、年間通しての計画にどう生かすか…。しっかり考えていきたいところだ。
最終的な到達段階を想定して、それをはかるための「パフォーマンス課題」を設定し、そこに至るまでの指導内容を考え、単元を組み立てる。
音楽科における「パフォーマンス課題」といえば実技テストだ。でもこれは「表現領域」に限ったものになる。
では、「鑑賞領域」における「パフォーマンス課題」といえば何か。それが「批評文」になるのだろう。
この著書では、パフォーマンス課題のシナリオ作りや、評価のためのルーブリック作りの仕方などが大変参考になった。(第2章のまとめに使いたい)
今度、ペーパーテストについて勉強会をしようと思うが、第2回はこのパフォーマンステストを取り上げようかなぁ。この2つの位置づけ、そしてこの2つにどう至るように授業・単元を設計するか、さらに、年間通しての計画にどう生かすか…。しっかり考えていきたいところだ。
2009年10月31日土曜日
自主ゼミメモ
前回は4名、今回は5名。
仲間が増えるのはうれしい。
今回は、先日のゼミに持っていたものに、第1章4・5節について少々肉付けをしたものと、第2章のアウトラインを持って行った。来週月曜までに、第1章のとりあえずのメドをつけ、第2章を書き出したい。
人数が増えたので、今までにない新たな視点からの指摘が入り、新鮮な刺激を得ることができた。
その視点から、少々手直しを入れていきたい(そうすると字数が減りそうなんだけど…)
ペーパーテスト研究会の話をチラッとしたら、みんな興味を示した。
…そろっとまじめに準備しなきゃだな。
仲間が増えるのはうれしい。
今回は、先日のゼミに持っていたものに、第1章4・5節について少々肉付けをしたものと、第2章のアウトラインを持って行った。来週月曜までに、第1章のとりあえずのメドをつけ、第2章を書き出したい。
人数が増えたので、今までにない新たな視点からの指摘が入り、新鮮な刺激を得ることができた。
その視点から、少々手直しを入れていきたい(そうすると字数が減りそうなんだけど…)
ペーパーテスト研究会の話をチラッとしたら、みんな興味を示した。
…そろっとまじめに準備しなきゃだな。
2009年10月30日金曜日
もう1度授業に挑戦!
おかげさまで、もう1回できることになりました。
今度こそ、もっとまともな授業にしよう。
自分らしい、「対話型音楽鑑賞授業」を目指そう。
授業中のすべての行為が説明できるように…。
論文と同時進行で準備するのは大変だけれど…よりリアリティある授業モデル・授業プランを提案できるようにしたい。
今度こそ、もっとまともな授業にしよう。
自分らしい、「対話型音楽鑑賞授業」を目指そう。
授業中のすべての行為が説明できるように…。
論文と同時進行で準備するのは大変だけれど…よりリアリティある授業モデル・授業プランを提案できるようにしたい。
2009年10月29日木曜日
2009年10月28日水曜日
音楽科における「ノート」
10年位前、教員なりたてで、まだ音楽の授業が1年生で年間70時間あったころ。
僕はノート作り・ノート指導をこだわっていた。
写譜した楽譜や、学習プリント、定期テスト、鑑賞ノートなどを貼らせ、実技テストでのコメントなど授業時の記録を取らせ…。
そして、最初のページは
「あなたの感動のコード(解釈規則)は何ですか?」
と問うたプリントだった。
『音楽は感動だ」ということを基本に、あなたはどういった時に感動し、それは音楽ではどういう時で、それを明確にするために音楽の授業で、そのコードを自分で探して作っていってほしい、そのための学習の蓄積としてのノートだ、ということにしたかったのだ。
あと、評価に利用できる、という裏目的もあった。
当然、なかなかうまくいかなかったのだが…思想は高尚だったなぁ(笑)
でも、今思う。
これは根底において、「知覚・感受」ノートは作るべきだと。3年間で1冊になるような。
生徒が自覚して学習を蓄積できるような、そしてそれを教師がリアルタイムで評価していくような、今まで音楽の授業では不可能だったことを、「知覚・感受」をキーワードにすれば可能になるのではないか。
授業と、ノートと、ペーパーテスト。これがリンクされれば、授業のシステムとしても安定したものになるのではないか。
授業減に伴い、ノート作り・ノート指導は止めてしまったが、現場に戻ったら、ぜひもう一度挑戦してみたい。
僕はノート作り・ノート指導をこだわっていた。
写譜した楽譜や、学習プリント、定期テスト、鑑賞ノートなどを貼らせ、実技テストでのコメントなど授業時の記録を取らせ…。
そして、最初のページは
「あなたの感動のコード(解釈規則)は何ですか?」
と問うたプリントだった。
『音楽は感動だ」ということを基本に、あなたはどういった時に感動し、それは音楽ではどういう時で、それを明確にするために音楽の授業で、そのコードを自分で探して作っていってほしい、そのための学習の蓄積としてのノートだ、ということにしたかったのだ。
あと、評価に利用できる、という裏目的もあった。
当然、なかなかうまくいかなかったのだが…思想は高尚だったなぁ(笑)
でも、今思う。
これは根底において、「知覚・感受」ノートは作るべきだと。3年間で1冊になるような。
生徒が自覚して学習を蓄積できるような、そしてそれを教師がリアルタイムで評価していくような、今まで音楽の授業では不可能だったことを、「知覚・感受」をキーワードにすれば可能になるのではないか。
授業と、ノートと、ペーパーテスト。これがリンクされれば、授業のシステムとしても安定したものになるのではないか。
授業減に伴い、ノート作り・ノート指導は止めてしまったが、現場に戻ったら、ぜひもう一度挑戦してみたい。
2009年10月27日火曜日
2009年10月26日月曜日
新学習指導要領対応ペーパーテストとは?
ある院生から相談を受けた。
「今まで作ったペーパーテストを見せてもらえませんか?」
なるほど、来春から現場に出るための準備か。
…いやだ、見せたくない!(笑)
この2年間で、音楽科の基本を勉強しなおして、特に評価面でこの10年間がでたらめだったことを思い知らされた。
ペーパーテストなんて、ホント、今振り返ったら恥ずかしいシロモノだ。
…まてよ。
一時期、音楽科にペーパーテストなんていらん、と考えていたこともあったけど、「知覚・感受」については、やっぱりペーパーテストでも評価することが有効なのではないか。
ということは、今のうちに、「知覚・感受」力を意識したペーパーテストを作るための勉強をしておく必要がある。
というわけで、今度その院生と一緒に勉強することにした。
授業が根本から変わる、ということは当然ペーパーテストが変わる。
(ペーパーテストを変えたら授業も変えなければならない)
さて、どんなテストを今後作っていくべきなのだろうか…?
「今まで作ったペーパーテストを見せてもらえませんか?」
なるほど、来春から現場に出るための準備か。
…いやだ、見せたくない!(笑)
この2年間で、音楽科の基本を勉強しなおして、特に評価面でこの10年間がでたらめだったことを思い知らされた。
ペーパーテストなんて、ホント、今振り返ったら恥ずかしいシロモノだ。
…まてよ。
一時期、音楽科にペーパーテストなんていらん、と考えていたこともあったけど、「知覚・感受」については、やっぱりペーパーテストでも評価することが有効なのではないか。
ということは、今のうちに、「知覚・感受」力を意識したペーパーテストを作るための勉強をしておく必要がある。
というわけで、今度その院生と一緒に勉強することにした。
授業が根本から変わる、ということは当然ペーパーテストが変わる。
(ペーパーテストを変えたら授業も変えなければならない)
さて、どんなテストを今後作っていくべきなのだろうか…?
2009年10月23日金曜日
自主ゼミメモ
第1章第3節・第4節を持参。
第3節は、心理学的見地から鑑賞の指導段階を検証するのだが、ちょっと内容が浅いかな。
もっと参考文献に目を通さないといけないか。
第4節は表にまとめたものだけ。
宇佐美先生の書いたものから、学習理論を鑑賞の指導段階にあてはめる。
こちらは、宇佐美先生の作物からエッセンスを取り出そうとするのがなかなか難しい。
きちんと理解しないでやったらやけどしそうな気がする(?)
これを引用などをふくめて、文章にまとめていかなくてはならないのだが…。
第1章は最後に5節で「主体的な鑑賞の能力を育てるための一考察」を提案する。
何とか来週中に第1章にメドをつけたいものだ。
第3節は、心理学的見地から鑑賞の指導段階を検証するのだが、ちょっと内容が浅いかな。
もっと参考文献に目を通さないといけないか。
第4節は表にまとめたものだけ。
宇佐美先生の書いたものから、学習理論を鑑賞の指導段階にあてはめる。
こちらは、宇佐美先生の作物からエッセンスを取り出そうとするのがなかなか難しい。
きちんと理解しないでやったらやけどしそうな気がする(?)
これを引用などをふくめて、文章にまとめていかなくてはならないのだが…。
第1章は最後に5節で「主体的な鑑賞の能力を育てるための一考察」を提案する。
何とか来週中に第1章にメドをつけたいものだ。
2009年10月22日木曜日
音楽科の「見取り図」とは
「教科の見取り図を持っているのがプロ」(谷和樹)
過去の実践や研究者についてまとめ、自分の実践・研究に生かし、「知の力」とする。
現場にいるとなかなかできないことだ。
幸い、大学院で少々勉強することができた。
授業させてもらう関係で先行実践をじっくり調べたり。
我が国の音楽鑑賞教育史を調べたり。
中等教育資料を読み込んだり。
だが…さすがに「見取り図」までいけていないなぁ。
今は論文で手一杯で、幅広さがないような気がする。
(指導要領では「幅広い鑑賞の能力」と言われているけど…)
その見取り図の中で、自分の研究はどの位置にあり、どういう意味があるのか。
そういった視点も、必要だよね。
過去の実践や研究者についてまとめ、自分の実践・研究に生かし、「知の力」とする。
現場にいるとなかなかできないことだ。
幸い、大学院で少々勉強することができた。
授業させてもらう関係で先行実践をじっくり調べたり。
我が国の音楽鑑賞教育史を調べたり。
中等教育資料を読み込んだり。
だが…さすがに「見取り図」までいけていないなぁ。
今は論文で手一杯で、幅広さがないような気がする。
(指導要領では「幅広い鑑賞の能力」と言われているけど…)
その見取り図の中で、自分の研究はどの位置にあり、どういう意味があるのか。
そういった視点も、必要だよね。
2009年10月21日水曜日
音楽科の基礎・基本+新学習指導要領のスタンス=新しい授業の型
音楽科における基礎・基本は、「音楽を知覚・感受する力」である。
新指導要領では、基礎・基本を確実に習得させることを重視している。
つまり、今後音楽科は、
音楽を形づくっている要素を知覚し、そこから醸し出される雰囲気や特質を感受する力を、すべての生徒に確実に習得させなければならない
ということになる。
って、本当にこれでいいのかなぁ?
いや、こうあるべきなんだろうけど、こうしたいんだけれど、それがすべての現場で徹底されるかなぁ?
まぁ、とりあえずそれはおいておいて。
では、鑑賞の授業ではどうすればいい?
○確実に楽曲に集中できる場の設定
○誰もが知覚・感受したくなる発問(指示)
○知覚・感受することが楽しくなる活動
○知覚・感受の力が高まったと実感できる評価
○このサイクルを保障する授業システム
これ、根本的に授業の考え方が変わるような気がする。
もちろん、表現領域でもこうあるべきだろう(最初の段階が、「確実に楽曲を演奏できる状態にする」になるかもしれない)。あれ? 表現領域のほうが難しいかも?
新指導要領では、基礎・基本を確実に習得させることを重視している。
つまり、今後音楽科は、
音楽を形づくっている要素を知覚し、そこから醸し出される雰囲気や特質を感受する力を、すべての生徒に確実に習得させなければならない
ということになる。
って、本当にこれでいいのかなぁ?
いや、こうあるべきなんだろうけど、こうしたいんだけれど、それがすべての現場で徹底されるかなぁ?
まぁ、とりあえずそれはおいておいて。
では、鑑賞の授業ではどうすればいい?
○確実に楽曲に集中できる場の設定
○誰もが知覚・感受したくなる発問(指示)
○知覚・感受することが楽しくなる活動
○知覚・感受の力が高まったと実感できる評価
○このサイクルを保障する授業システム
これ、根本的に授業の考え方が変わるような気がする。
もちろん、表現領域でもこうあるべきだろう(最初の段階が、「確実に楽曲を演奏できる状態にする」になるかもしれない)。あれ? 表現領域のほうが難しいかも?
2009年10月20日火曜日
ゼミメモ
「第2節 音楽鑑賞教育史の俯瞰からみる鑑賞の能力」
を持っていく。
何とかまとめたつもりだったが…
「ここは引用ばかりだからね。自分の言葉にする部分でもっと検討しよう」
ということであっという間に検討が終わる。
うっ…苦労したけど、苦労するような場所じゃなかったのか…。
次回までに第2節の修正と、第3節を持っていく。
今回のポイント。
○戦前では、やはり蓄音機の普及の影響をもっと吟味する必要がある。
○戦後では、「多様な音楽」を理解するということは、「西洋音楽(クラシック)偏重」へのアンチテーゼであることも意識する。
この2点を中心に、もう少し論を深めていく。
を持っていく。
何とかまとめたつもりだったが…
「ここは引用ばかりだからね。自分の言葉にする部分でもっと検討しよう」
ということであっという間に検討が終わる。
うっ…苦労したけど、苦労するような場所じゃなかったのか…。
次回までに第2節の修正と、第3節を持っていく。
今回のポイント。
○戦前では、やはり蓄音機の普及の影響をもっと吟味する必要がある。
○戦後では、「多様な音楽」を理解するということは、「西洋音楽(クラシック)偏重」へのアンチテーゼであることも意識する。
この2点を中心に、もう少し論を深めていく。
2009年10月16日金曜日
2009年10月9日金曜日
2009年10月8日木曜日
どちらの耳で聴くか?
新潟を代表する合唱指揮者、梅山登先生の論文を読み、実験その1。
片方の耳を押さえて、「パノフカ」6番を歌ってみる。
右と左では、確かに聴こえ方が違う。が説明できない。何と言えばいいかまったくわからない。
次に、「砂山」2曲(中山版・山田版)を。
あれ? 歌詞が付くとまた変わるぞ?
右耳を押さえて(左耳で聴きながら、つまり右脳で聴きながら)歌うと、不安定になるのである。
左耳を押さえて(右耳で聴きながら、つまり左脳で聴きながら)歌うと、発声練習の時とあまり変わらない。
おもしろい~不思議~
お友達で、最近片耳が不自由になってしまったが、演奏活動(声楽)をがんばっている人がいる。
その人が言っていたが、「やっぱり音を立体的に捉えることが難しいんです」…なるほど~。
(実は僕も最近片眼(左)が見えなくなった。やっぱり遠近感がイマイチで、急に飛んでくるものに対して弱い。というわけで球技関係は一切止めた。何となく友達の気持ちがわかる。あれ? 右で見ているということは左脳を使っているわけだ。ということは…? でもあんまり実感ないや)
梅山先生は論文の中で、楽曲を右と左で聴き分けさせている。
さすがに、そこまで研究を広げるわけにはいかないが、学習者の状態を解釈する際のコードの1つとして抑えておいたほうがいいのかもしれない。
もう少しこの実験を続けてみよう。
あと、鑑賞する時の聴き分けを「その2」としたい。それはまた後日に。
片方の耳を押さえて、「パノフカ」6番を歌ってみる。
右と左では、確かに聴こえ方が違う。が説明できない。何と言えばいいかまったくわからない。
次に、「砂山」2曲(中山版・山田版)を。
あれ? 歌詞が付くとまた変わるぞ?
右耳を押さえて(左耳で聴きながら、つまり右脳で聴きながら)歌うと、不安定になるのである。
左耳を押さえて(右耳で聴きながら、つまり左脳で聴きながら)歌うと、発声練習の時とあまり変わらない。
おもしろい~不思議~
お友達で、最近片耳が不自由になってしまったが、演奏活動(声楽)をがんばっている人がいる。
その人が言っていたが、「やっぱり音を立体的に捉えることが難しいんです」…なるほど~。
(実は僕も最近片眼(左)が見えなくなった。やっぱり遠近感がイマイチで、急に飛んでくるものに対して弱い。というわけで球技関係は一切止めた。何となく友達の気持ちがわかる。あれ? 右で見ているということは左脳を使っているわけだ。ということは…? でもあんまり実感ないや)
梅山先生は論文の中で、楽曲を右と左で聴き分けさせている。
さすがに、そこまで研究を広げるわけにはいかないが、学習者の状態を解釈する際のコードの1つとして抑えておいたほうがいいのかもしれない。
もう少しこの実験を続けてみよう。
あと、鑑賞する時の聴き分けを「その2」としたい。それはまた後日に。
2009年10月7日水曜日
音楽鑑賞してみる
ふと思い立って、「音楽鑑賞」をした。
いつもは、
・何かしながら音楽を聴く
・演奏の参考にするため音楽を聴く
ことばかりなので、実は、「音楽に集中して聴く」ということを普段しない。
…これってまずいよね…。
というわけで、じっくりと聴こうとする。
茂木健一郎先生が「自分の中で鳴る音に耳をすます」と著書で語っている。それをしたかった。
でも、なかなかじっくり聴けないものだ。
またよりによって合唱を聴いてしまったから、いろんな思いが交錯する。
…生徒だってそうだよな。
よく考えたら、僕自身が「聴き方」を教わってこなかったよなぁ。
つまり、「鑑賞の仕方を教える」ロールモデルが実感としていない。
そう考えると、読書をした後、読書ノートを記す人がいるが、僕はしない(できない)。
時折参考になることを抜書きするだけだ。
あれ、読書の仕方もちゃんと教わったことはないよなぁ。
読書でも、音楽鑑賞でも、「自分にくぐらせ」たり、「情報化」したり、「自分の『情報のプール』を認識」したり、というのをあまりにも無意識にやりすぎていたのではないか。もっと意識的に行わなければならないのではないか。
そうか、これが生涯学び続ける力であり、「生きる力」なのか。
読書と音楽鑑賞、ちょっとがんばってみようかな。
(本来がんばるものではないと思うのだが)
いつもは、
・何かしながら音楽を聴く
・演奏の参考にするため音楽を聴く
ことばかりなので、実は、「音楽に集中して聴く」ということを普段しない。
…これってまずいよね…。
というわけで、じっくりと聴こうとする。
茂木健一郎先生が「自分の中で鳴る音に耳をすます」と著書で語っている。それをしたかった。
でも、なかなかじっくり聴けないものだ。
またよりによって合唱を聴いてしまったから、いろんな思いが交錯する。
…生徒だってそうだよな。
よく考えたら、僕自身が「聴き方」を教わってこなかったよなぁ。
つまり、「鑑賞の仕方を教える」ロールモデルが実感としていない。
そう考えると、読書をした後、読書ノートを記す人がいるが、僕はしない(できない)。
時折参考になることを抜書きするだけだ。
あれ、読書の仕方もちゃんと教わったことはないよなぁ。
読書でも、音楽鑑賞でも、「自分にくぐらせ」たり、「情報化」したり、「自分の『情報のプール』を認識」したり、というのをあまりにも無意識にやりすぎていたのではないか。もっと意識的に行わなければならないのではないか。
そうか、これが生涯学び続ける力であり、「生きる力」なのか。
読書と音楽鑑賞、ちょっとがんばってみようかな。
(本来がんばるものではないと思うのだが)
2009年10月6日火曜日
2009年10月5日月曜日
分析批評の学習過程と自然科学研究と声楽学習過程と鑑賞の授業のあり方
井関義久氏の「分析批評の学習過程」は、
1.読解 → 2.主題の仮説 → 3.分析 → 4.批評
となる。これは自然科学研究における「観察→仮説→実験→学説」というプロセスと似ている。
私の最初の声楽の師匠、山形忠顯氏は、声楽学習の過程として、
1.作品の受容感得 → 2.分析・理解 → 3.必要な表現技術を選択・習熟・感情移入 → 4.表現法を総合し、昇華する
と述べている。
似ているなぁ、と思うの私だけだろうか。
鑑賞の授業においては、「仮説」というのはなかなか難しい。
なので、
1.作品の受容(自分なりに聴く) → 2.分析・理解(音楽を形づくっている要素を知覚・感受する) → 3.総合し、批評する
という流れになるのではないか。
実は、「1.作品の受容」の面が、授業を構想する者としての考察が足りないのではないか、と感じるようになった。
作品と出会い、作品を自分にくぐらせ情報化し、と同時に自分の音楽情報のプールも意識化する。
分析・理解はその後で、そしてもう1回聴いた時に、聴き方がかわり、より深い批評ができるようになる…。
そんな授業ができるようになるといいのかなぁ。
1.読解 → 2.主題の仮説 → 3.分析 → 4.批評
となる。これは自然科学研究における「観察→仮説→実験→学説」というプロセスと似ている。
私の最初の声楽の師匠、山形忠顯氏は、声楽学習の過程として、
1.作品の受容感得 → 2.分析・理解 → 3.必要な表現技術を選択・習熟・感情移入 → 4.表現法を総合し、昇華する
と述べている。
似ているなぁ、と思うの私だけだろうか。
鑑賞の授業においては、「仮説」というのはなかなか難しい。
なので、
1.作品の受容(自分なりに聴く) → 2.分析・理解(音楽を形づくっている要素を知覚・感受する) → 3.総合し、批評する
という流れになるのではないか。
実は、「1.作品の受容」の面が、授業を構想する者としての考察が足りないのではないか、と感じるようになった。
作品と出会い、作品を自分にくぐらせ情報化し、と同時に自分の音楽情報のプールも意識化する。
分析・理解はその後で、そしてもう1回聴いた時に、聴き方がかわり、より深い批評ができるようになる…。
そんな授業ができるようになるといいのかなぁ。
2009年10月4日日曜日
昨年11月26日のメモより
「文学作品の読みの指導とは、記号解釈の指導である。その目的は学習者内部のコードを増やしてやることである。これにより、学習者が自力で解釈できる範囲は拡大する。」
(宇佐美寛・問題意識集3 より)
俺、いいことメモしてたな(笑)
この具体的な手立てとして、川上先生は「比べ読み・重ね読み」を提案している。
「音楽作品を聴く指導とは、記号解釈の指導である。その目的は学習者内部のコードを増やしてやることである。これにより、学習者が自力で解釈できる範囲は拡大する」
なんて、言い換えられないものだろうか。
そのための手立てとして、「比べ聴き・重ね聴き」が有効ではないだろうか。
ちょっと安直すぎるかな。
でも、こんな主張があってもいいのに。
こんなにわかりやすく鑑賞指導についてズバッて言い切っている人、少ない。
(賛否はおいておいて)
(宇佐美寛・問題意識集3 より)
俺、いいことメモしてたな(笑)
この具体的な手立てとして、川上先生は「比べ読み・重ね読み」を提案している。
「音楽作品を聴く指導とは、記号解釈の指導である。その目的は学習者内部のコードを増やしてやることである。これにより、学習者が自力で解釈できる範囲は拡大する」
なんて、言い換えられないものだろうか。
そのための手立てとして、「比べ聴き・重ね聴き」が有効ではないだろうか。
ちょっと安直すぎるかな。
でも、こんな主張があってもいいのに。
こんなにわかりやすく鑑賞指導についてズバッて言い切っている人、少ない。
(賛否はおいておいて)
2009年10月3日土曜日
自主ゼミメモ
晩ごはんを食べながらゆるゆると。
いよいよ来週からゼミが再開するということで、僕は第2節を書き上げる予定が…なかなか進まない。
第2節は、日本音楽鑑賞教育史から主体的な鑑賞の能力を検証するというものだが、来週の月曜日までには半分(戦前まで)しかいかないかもしれない。
昨年の秋には、寺田貴雄先生の論文をもとに、だいたいの音楽鑑賞教育史をまとめていた。
1年経って、やっと論文化しようとしているのだが、その時は「主体的な鑑賞の能力とは何か」ということもわからず調べていたので、足りない面が見えてきた。
例えば、当時の時代背景(国内外の世の中、音楽界、教育界など)をからめようとする必要が出てきたりする。
個人的には調べることは勉強になったり知的興奮があるのだが、それを論文にしようとすると難しくて意欲が萎える。この繰り返し。
来週と再来週で第2節は終えたい。
あと、来週は第1節を先生に見ていただく。その修正も進めなくては。
今月と来月が勝負です。
いよいよ来週からゼミが再開するということで、僕は第2節を書き上げる予定が…なかなか進まない。
第2節は、日本音楽鑑賞教育史から主体的な鑑賞の能力を検証するというものだが、来週の月曜日までには半分(戦前まで)しかいかないかもしれない。
昨年の秋には、寺田貴雄先生の論文をもとに、だいたいの音楽鑑賞教育史をまとめていた。
1年経って、やっと論文化しようとしているのだが、その時は「主体的な鑑賞の能力とは何か」ということもわからず調べていたので、足りない面が見えてきた。
例えば、当時の時代背景(国内外の世の中、音楽界、教育界など)をからめようとする必要が出てきたりする。
個人的には調べることは勉強になったり知的興奮があるのだが、それを論文にしようとすると難しくて意欲が萎える。この繰り返し。
来週と再来週で第2節は終えたい。
あと、来週は第1節を先生に見ていただく。その修正も進めなくては。
今月と来月が勝負です。
2009年10月2日金曜日
実際に鑑賞の授業をする時に
僕は半分冗談・半分本気で、
「10%効果が上がる合唱指導法」
というのを個人的に編集している。今、40くらい集めたかなぁ。
コンセプトは、
・必ず自分で効果を確かめる
・必ず誰でもできるもの
・必ず、楽曲を練習している中で用いることができるもの
・楽曲を練習している中で、「あ、今うまくなったかも」という気付きをたくさん積み重ねていけば、意欲が高まり、結果としていい演奏につながる
など。
例としては、「タンギング唱」「ADR唱」「アイアイ唱」(これらは初級編)など。
もちろん、この前段階として、その楽曲に対する解釈・分析は必要(あまりしたことがなくて反省している最中)。
でもこのスタイルはかなり自分らしさを出しているように思う。
さて。鑑賞の授業においてはどうだろうか。
もちろん、楽曲に対する解釈分析が最優先。
だが、実際に授業する時、「10%聴取力が高まる鑑賞指導法」が必要になるのではないか。
つまり、音楽を形づくっている要素を知覚・感受する際、
・誰でもできて
・特殊な訓練ではなくて
・それを積み重ねていくことで、聴くことがだんだん楽しくなる
指導法だ。
それが、自分らしい鑑賞の授業を生み出していくのだろう。
それ、考えたこともなかったなぁ。
なぜ考えたこともなかったのか(合唱では考えついたのに)が、すごく反省点。
正直、このことは修士論文には載らない。
でも、今こそ考えておくべきことなのかもしれない。
「10%効果が上がる合唱指導法」
というのを個人的に編集している。今、40くらい集めたかなぁ。
コンセプトは、
・必ず自分で効果を確かめる
・必ず誰でもできるもの
・必ず、楽曲を練習している中で用いることができるもの
・楽曲を練習している中で、「あ、今うまくなったかも」という気付きをたくさん積み重ねていけば、意欲が高まり、結果としていい演奏につながる
など。
例としては、「タンギング唱」「ADR唱」「アイアイ唱」(これらは初級編)など。
もちろん、この前段階として、その楽曲に対する解釈・分析は必要(あまりしたことがなくて反省している最中)。
でもこのスタイルはかなり自分らしさを出しているように思う。
さて。鑑賞の授業においてはどうだろうか。
もちろん、楽曲に対する解釈分析が最優先。
だが、実際に授業する時、「10%聴取力が高まる鑑賞指導法」が必要になるのではないか。
つまり、音楽を形づくっている要素を知覚・感受する際、
・誰でもできて
・特殊な訓練ではなくて
・それを積み重ねていくことで、聴くことがだんだん楽しくなる
指導法だ。
それが、自分らしい鑑賞の授業を生み出していくのだろう。
それ、考えたこともなかったなぁ。
なぜ考えたこともなかったのか(合唱では考えついたのに)が、すごく反省点。
正直、このことは修士論文には載らない。
でも、今こそ考えておくべきことなのかもしれない。
2009年10月1日木曜日
情報のプール
「授業刺激として子どもが受け止める情報はの解釈は(中略)、子どもが持っている情報のプール(あるいは、概念組織または概念網)の中を通すことによって行われる」
(宇佐美寛 『宇佐美寛・問題意識集7 論理的思考と授業の方法』明治図書 2003年)
これは、齋藤孝先生の言う「自分をくぐらせる」ということと、よく似ていると思う。
情報のプールが貧弱だと、情報の解釈も貧弱なものとなる。
だから宇佐美先生は課題図書を課すのか…。
では、子どもにとって「音楽情報のプール」って…?
まず、子どもがそんな意識、もっていないだろう。
「情報処理」ばかりで、「情報化」する聴き方なんて、ほとんど意識的には行われていないだろう。
「ことば」でないので、共有することも難しい。音楽をことばに変換することも、ほとんど意識的には行われていないだろう。
そう考えると、音楽情報のプールが充実すれば、他教科・他分野の学習をする際の情報のプールも充実するんじゃないかな?(逆もしかり)
授業の最初の段階で、
・楽曲との印象的な出合い
・それとともに、現時点での自分の音楽情報のプールの確認
が、難しくなくできるといいのだが…。
もしくは、情報のプールを充実したものにするため、「とにかくたくさん聴く」という経験をさせたい。でも時数的には無理。ということは、たくさん聴いて情報のプールを充実させたい! と子どもが思うような授業をすることが肝要なのではないか。
さて、私の音楽情報のプールはどうなっている?
…けっこう貧弱かもしれない…読書+音楽鑑賞を私自身がたくさんしなきゃ。
(宇佐美寛 『宇佐美寛・問題意識集7 論理的思考と授業の方法』明治図書 2003年)
これは、齋藤孝先生の言う「自分をくぐらせる」ということと、よく似ていると思う。
情報のプールが貧弱だと、情報の解釈も貧弱なものとなる。
だから宇佐美先生は課題図書を課すのか…。
では、子どもにとって「音楽情報のプール」って…?
まず、子どもがそんな意識、もっていないだろう。
「情報処理」ばかりで、「情報化」する聴き方なんて、ほとんど意識的には行われていないだろう。
「ことば」でないので、共有することも難しい。音楽をことばに変換することも、ほとんど意識的には行われていないだろう。
そう考えると、音楽情報のプールが充実すれば、他教科・他分野の学習をする際の情報のプールも充実するんじゃないかな?(逆もしかり)
授業の最初の段階で、
・楽曲との印象的な出合い
・それとともに、現時点での自分の音楽情報のプールの確認
が、難しくなくできるといいのだが…。
もしくは、情報のプールを充実したものにするため、「とにかくたくさん聴く」という経験をさせたい。でも時数的には無理。ということは、たくさん聴いて情報のプールを充実させたい! と子どもが思うような授業をすることが肝要なのではないか。
さて、私の音楽情報のプールはどうなっている?
…けっこう貧弱かもしれない…読書+音楽鑑賞を私自身がたくさんしなきゃ。
2009年9月30日水曜日
ジャズを音楽の授業で取り上げるとしたら
仲間から相談を受けた。
現時点で、自分なりの理論(というほどでもないが)で、授業を構想してみた。
○楽曲との出会い(印象的になるよう演出を工夫する)
○1つ要素を絞って、聴き取る力・感じ取る力を高める学習・活動をする (僕ならスイングのリズムかな)
○何曲か「オリジナル曲とそれをジャズアレンジした曲の比べ聴き」をして、自分なりに感じ取ったことをまとめる
○批評文を書く
(だから、教材曲は比較聴取できる楽曲が望ましい)
まぁ、机上の空論だけどね…。
仲間は面白そうといってくれたけど…教材研究(楽曲を探したり分析したり)する余裕が現場にいたらないかもねぇ…もし実践したらちゃんと報告してくれるようにお願いしました。
現時点で、自分なりの理論(というほどでもないが)で、授業を構想してみた。
○楽曲との出会い(印象的になるよう演出を工夫する)
○1つ要素を絞って、聴き取る力・感じ取る力を高める学習・活動をする (僕ならスイングのリズムかな)
○何曲か「オリジナル曲とそれをジャズアレンジした曲の比べ聴き」をして、自分なりに感じ取ったことをまとめる
○批評文を書く
(だから、教材曲は比較聴取できる楽曲が望ましい)
まぁ、机上の空論だけどね…。
仲間は面白そうといってくれたけど…教材研究(楽曲を探したり分析したり)する余裕が現場にいたらないかもねぇ…もし実践したらちゃんと報告してくれるようにお願いしました。
2009年9月29日火曜日
自主ゼミメモ
指揮法の集中講義と5連休で完全に論文執筆の筆が止まり、あわてて第1章のアウトラインを作り直して持参。
来週から後期の授業が始まり、ゼミが再開するので、それまでにこのアウトラインをもとに進めるだけ進めないと…。
お相手は今月授業実践を行い、その報告書を作っている最中。
人の話を聞いている時の方が頭が回る気がする…。こちらもがんばらねば。
先生バッサリ斬ってもらうゼミ以外に、こうやってざっくばらんに話せる自主ゼミを今後も続けよう、ということになった。
結局、夏休み中は自主ゼミ6回+ゼミ合宿を行った。
いい締め切り効果になったし、今後もそうなるかも。
異邦人の会の例会もしたいなぁ。
来週から後期の授業が始まり、ゼミが再開するので、それまでにこのアウトラインをもとに進めるだけ進めないと…。
お相手は今月授業実践を行い、その報告書を作っている最中。
人の話を聞いている時の方が頭が回る気がする…。こちらもがんばらねば。
先生バッサリ斬ってもらうゼミ以外に、こうやってざっくばらんに話せる自主ゼミを今後も続けよう、ということになった。
結局、夏休み中は自主ゼミ6回+ゼミ合宿を行った。
いい締め切り効果になったし、今後もそうなるかも。
異邦人の会の例会もしたいなぁ。
2009年9月28日月曜日
音楽を語ること
先日、高校合唱部OB会の合宿の酒宴にて。
80歳の大先輩が、シベリウスやベートーヴェン、モーツアルトについて熱く語っていた。
確か本業(?)は高校の教員(数学だったかな?)、音楽は趣味の範疇。今は南米の歴史に夢中らしい。
そのお話を聞きながら、
「音楽を本線とした人生を歩んでいなくても、80歳になって、自分の好きな音楽について一言語れる」
ようになるためには、どうすればいいのか、ということを考えた。
そして、そのためには、どのような授業たればいいのか。
もちろん、そのために授業なんて微々たる力でしかない。
でも、せめて種を蒔きたいまきたい(たとえ芽が出なくても)。
ではどう蒔くか。
岡田暁生氏が、『音楽の聴き方』の中で、
「音楽の営為が「すること」「聴くこと」「語ること」のトライアングルからなる」
と述べている。
つまり、「しかた」「聴き方」「語り方」を意識しなければならない。
「しかた」はまだしも、「聴き方」「語り方」を、あるいは「聴き型」「語り型」を授業することは、まだまだ研究の余地があるだろう。
何よりも80歳の大先輩は、自分なりの論をもっていたことに感銘を受けた。
音楽について語り合うことはやっぱり楽しい。
その基礎を多くの子どもたちに身に付けることができるような授業ができる人間になりたい。
80歳の大先輩が、シベリウスやベートーヴェン、モーツアルトについて熱く語っていた。
確か本業(?)は高校の教員(数学だったかな?)、音楽は趣味の範疇。今は南米の歴史に夢中らしい。
そのお話を聞きながら、
「音楽を本線とした人生を歩んでいなくても、80歳になって、自分の好きな音楽について一言語れる」
ようになるためには、どうすればいいのか、ということを考えた。
そして、そのためには、どのような授業たればいいのか。
もちろん、そのために授業なんて微々たる力でしかない。
でも、せめて種を蒔きたいまきたい(たとえ芽が出なくても)。
ではどう蒔くか。
岡田暁生氏が、『音楽の聴き方』の中で、
「音楽の営為が「すること」「聴くこと」「語ること」のトライアングルからなる」
と述べている。
つまり、「しかた」「聴き方」「語り方」を意識しなければならない。
「しかた」はまだしも、「聴き方」「語り方」を、あるいは「聴き型」「語り型」を授業することは、まだまだ研究の余地があるだろう。
何よりも80歳の大先輩は、自分なりの論をもっていたことに感銘を受けた。
音楽について語り合うことはやっぱり楽しい。
その基礎を多くの子どもたちに身に付けることができるような授業ができる人間になりたい。
2009年9月27日日曜日
考えたこと
いつもお世話になっている中学校に行って、少々雑談をしていた。
その中で、
「今年全学級に配置される予定だった電子黒板の導入が見送られた」
という話が出た。
政権交代の余波がここにも!
でも…それでいいの?
TOSS音楽だって、音鑑だって、実践学会だって、最先端の実践は当たり前のように電子黒板使っている。僕は大学院の先生の何人かに、ぜひ大学で購入して模擬授業などでどんどん利用していく必要があると進言したことがある。正直、自分は不得手なので、現場に戻る時には使いこなせていないとまずいと感じている。
電子黒板は、21世紀型学力を授業で身に付けるための必須アイテムなはずだ。全学級に導入することになっていたはずだ。
しかも、前任校は昨年度導入が済んでいる。導入の予定がずれた学校が見送られるなんてことがあっていいの?
もし、これで導入がされなかったら、この方向での鑑賞授業の発展は止まるだろう。
もしない学校に行ったら…個人で購入しろってことかなぁ…。
それでも国がお金を使わないことが最優先事項になるんだなぁ…。
まぁ、それも仕方ないことなのか。
論文が進まない現実逃避にくだらないことを考えてみた。
その中で、
「今年全学級に配置される予定だった電子黒板の導入が見送られた」
という話が出た。
政権交代の余波がここにも!
でも…それでいいの?
TOSS音楽だって、音鑑だって、実践学会だって、最先端の実践は当たり前のように電子黒板使っている。僕は大学院の先生の何人かに、ぜひ大学で購入して模擬授業などでどんどん利用していく必要があると進言したことがある。正直、自分は不得手なので、現場に戻る時には使いこなせていないとまずいと感じている。
電子黒板は、21世紀型学力を授業で身に付けるための必須アイテムなはずだ。全学級に導入することになっていたはずだ。
しかも、前任校は昨年度導入が済んでいる。導入の予定がずれた学校が見送られるなんてことがあっていいの?
もし、これで導入がされなかったら、この方向での鑑賞授業の発展は止まるだろう。
もしない学校に行ったら…個人で購入しろってことかなぁ…。
それでも国がお金を使わないことが最優先事項になるんだなぁ…。
まぁ、それも仕方ないことなのか。
論文が進まない現実逃避にくだらないことを考えてみた。
2009年9月26日土曜日
こだわり
今月、個人的に大変興味深い本が出版された。
川上弘宜 『「比べ読み・重ね読み」で「一人読み」』 明治図書 2009年9月
これは小学校国語の実践だ。すばらしいと思う。
(川上先生の修士論文もざっと読ませていただいた)
そう。
「比べ聴き・重ね聴き」で「一人聴き」
ができるような実践ができないか、と思ったわけ。
それこそ、鑑賞者を主体にし、自分をくぐらせ、情報化し、自分なりの聴き方ができるようになる有効な具体的手立てになるのではないか。
(音楽科であまり似たような実践が多くないのはきっと時数の問題だろう)
ひょっとしたら、「ギャラリートーク」よりも中学生向け対話型音楽鑑賞授業に向いているかもしれない。
実践そのものも魅力的だが、もっと印象に残ったのは「あとがき」だ。
「「比べ読み・重ね読み」の実践を初めてかれこれ12年になる。その間、雑誌原稿を書かせていただく時、研究授業をさせていただける時、模擬授業をさせていただける時、ことあるごとにこのテーマにつなげて考えてきた。「子どもに読書習慣を身に付けるには?」「到達度評価の観点をもって物語文を指導するには?」「ノート指導の在り方は?」私のどれに対する答えも「比べ読み・重ね読み」。何とかの一つ覚えのようである。
「比べ読み・重ね読み」に、なぜこんなにもこだわってきたのか。それは、この方法で授業すれば良い授業ができる、という実感である。大人も考えつかないような批評を言う子どもの姿が見られるから、といっても良い。
私は「良い授業がしたい」とかんがえていると、いつも「比べて」発問していた。それは討論を生む。一度授業で討論が成立したことのある方なら実感があると思うが、その充実感は「やみつき」になる。授業で学級経営している、という実感も湧いてくる。もう一度その快感を味わいたくなる。「くせになる」のである。」
このこだわりがすごい。こだわれることがすごい。
こだわれる人になりたい。こだわれる方法を開発したい。
川上弘宜 『「比べ読み・重ね読み」で「一人読み」』 明治図書 2009年9月
これは小学校国語の実践だ。すばらしいと思う。
(川上先生の修士論文もざっと読ませていただいた)
そう。
「比べ聴き・重ね聴き」で「一人聴き」
ができるような実践ができないか、と思ったわけ。
それこそ、鑑賞者を主体にし、自分をくぐらせ、情報化し、自分なりの聴き方ができるようになる有効な具体的手立てになるのではないか。
(音楽科であまり似たような実践が多くないのはきっと時数の問題だろう)
ひょっとしたら、「ギャラリートーク」よりも中学生向け対話型音楽鑑賞授業に向いているかもしれない。
実践そのものも魅力的だが、もっと印象に残ったのは「あとがき」だ。
「「比べ読み・重ね読み」の実践を初めてかれこれ12年になる。その間、雑誌原稿を書かせていただく時、研究授業をさせていただける時、模擬授業をさせていただける時、ことあるごとにこのテーマにつなげて考えてきた。「子どもに読書習慣を身に付けるには?」「到達度評価の観点をもって物語文を指導するには?」「ノート指導の在り方は?」私のどれに対する答えも「比べ読み・重ね読み」。何とかの一つ覚えのようである。
「比べ読み・重ね読み」に、なぜこんなにもこだわってきたのか。それは、この方法で授業すれば良い授業ができる、という実感である。大人も考えつかないような批評を言う子どもの姿が見られるから、といっても良い。
私は「良い授業がしたい」とかんがえていると、いつも「比べて」発問していた。それは討論を生む。一度授業で討論が成立したことのある方なら実感があると思うが、その充実感は「やみつき」になる。授業で学級経営している、という実感も湧いてくる。もう一度その快感を味わいたくなる。「くせになる」のである。」
このこだわりがすごい。こだわれることがすごい。
こだわれる人になりたい。こだわれる方法を開発したい。
2009年9月25日金曜日
「情報化」と「情報処理」~僕の授業は…?
養老孟司・久石譲 『耳で考える』 角川oneテーマ21 2009年9月
養老先生が次のように述べている。
「今は「情報」という言葉があまりにも普通に使われていているから皆さんピンと来ないかもしれないけど、自分が見ている世界を言葉にする時、それ一つだけをよく見れば書けるというものではないんです。それを書くためには、他のことをたくさん、しかもよくわかっていないと、的確に表現することはできない。
これに対して、あの人はこう言っている、この人はこう言っている、これとこれとは理屈でいえば矛盾しているだろうとか、あそこにはこう書いてあったとか、そういう他の人の言っていることや書いていることを上手に整理してまとめていくのは「情報処理」なんです。
ものを書く、ものをつくるとは、情報化すること。「情報化の作業」と「情報処理の作業」は全く違うんですよ。」
ドキッとした。
僕のやっている鑑賞授業は、「情報処理の作業」ではないか。
もちろん、本当は「情報化の作業」でありたい。
「生徒が批評文が書けない」理由がはっきり分ったような気がする。
(ただ、そのための手立てにとっても時間をかけたい、でもできない、というジレンマが生まれる)
齋藤孝先生も、「情報を自分にくぐらせる」という表現を使っていたが、それが「情報化の作業」と言えるのではないか。
聴いた楽曲について、「情報化の作業」をすることができる生徒。
それは、具体的に何ができる生徒なのか。そのために必要な能力は何か。どんな授業(活動)が有効か。
そして。
自分の論文はちゃんと「情報化」しているか? 単なる「情報処理」になっていないか?
これが一番の問題かもしれない…。
養老先生が次のように述べている。
「今は「情報」という言葉があまりにも普通に使われていているから皆さんピンと来ないかもしれないけど、自分が見ている世界を言葉にする時、それ一つだけをよく見れば書けるというものではないんです。それを書くためには、他のことをたくさん、しかもよくわかっていないと、的確に表現することはできない。
これに対して、あの人はこう言っている、この人はこう言っている、これとこれとは理屈でいえば矛盾しているだろうとか、あそこにはこう書いてあったとか、そういう他の人の言っていることや書いていることを上手に整理してまとめていくのは「情報処理」なんです。
ものを書く、ものをつくるとは、情報化すること。「情報化の作業」と「情報処理の作業」は全く違うんですよ。」
ドキッとした。
僕のやっている鑑賞授業は、「情報処理の作業」ではないか。
もちろん、本当は「情報化の作業」でありたい。
「生徒が批評文が書けない」理由がはっきり分ったような気がする。
(ただ、そのための手立てにとっても時間をかけたい、でもできない、というジレンマが生まれる)
齋藤孝先生も、「情報を自分にくぐらせる」という表現を使っていたが、それが「情報化の作業」と言えるのではないか。
聴いた楽曲について、「情報化の作業」をすることができる生徒。
それは、具体的に何ができる生徒なのか。そのために必要な能力は何か。どんな授業(活動)が有効か。
そして。
自分の論文はちゃんと「情報化」しているか? 単なる「情報処理」になっていないか?
これが一番の問題かもしれない…。
2009年9月24日木曜日
鑑賞を「教える」スタイルとは?
教師とし・合唱人としての大先輩が言った。
「あの高校野球の監督達が、みんな選手を『子どもたち』と呼ぶことに違和感がある」
高校生といえばもう立派な人間だ。人様のお子さんを預かっておきながら、その言い方は上から目線なのではないか、とのことである。
まぁ、それが正しいかどうかおいておいて。
「あなたはどうかね?」
と聞かれた時に考えてしまった。
お恥ずかしながら…自分が余裕がない時に、生徒に対して自分が上に立とうとする意識が働くような気がする。そしてそれが多いような気がする。
逆に、生徒と対等に物事をがんばれた時、自分が余裕をもって生徒と接する時、そんな意識はない。そしてそれはとっても少ないような気がする。
つまり勉強が足りないのである。
鑑賞の授業において、鑑賞者と共にある、ということはどういうことか。
教師と生徒が対等の立場で楽曲について、音楽について語り合える…そんな授業、できるかなぁ。
もっと難しいのは、授業だけそうでも、生徒は信頼してくれないだろう。
どんな教育活動でもそういうスタイルでいないと…それがまた授業に反映されるのだから(それは違う意味でいやというほど実感してきた)。
「あの高校野球の監督達が、みんな選手を『子どもたち』と呼ぶことに違和感がある」
高校生といえばもう立派な人間だ。人様のお子さんを預かっておきながら、その言い方は上から目線なのではないか、とのことである。
まぁ、それが正しいかどうかおいておいて。
「あなたはどうかね?」
と聞かれた時に考えてしまった。
お恥ずかしながら…自分が余裕がない時に、生徒に対して自分が上に立とうとする意識が働くような気がする。そしてそれが多いような気がする。
逆に、生徒と対等に物事をがんばれた時、自分が余裕をもって生徒と接する時、そんな意識はない。そしてそれはとっても少ないような気がする。
つまり勉強が足りないのである。
鑑賞の授業において、鑑賞者と共にある、ということはどういうことか。
教師と生徒が対等の立場で楽曲について、音楽について語り合える…そんな授業、できるかなぁ。
もっと難しいのは、授業だけそうでも、生徒は信頼してくれないだろう。
どんな教育活動でもそういうスタイルでいないと…それがまた授業に反映されるのだから(それは違う意味でいやというほど実感してきた)。
2009年9月19日土曜日
Happyな鑑賞
3日間、指揮法の集中講義を受講した。
徹底してプレイヤーを尊重する講師先生のスタンスに感動した。
自分もそうありたいと思っていたけど、まだまだ甘いなと思った。
徹底して生徒を尊重する授業になっているかなぁ。
そして。
徹底して「鑑賞者」を尊重する鑑賞授業(活動)ってなんだろう?
どうしても自分の思いの方がですぎてしまう合唱の指揮(指導)は自分でも認識できるようになってきたけど(でもまだ修正するまでできないけど)、自分の思いの方がですぎてしまう鑑賞授業を自分でも認識できるだろうか、それをどう修正すればよいのだろうか?
だいたい鑑賞者は、どういう状態になれば「Happyな鑑賞ができた」と思うのだろうか?
今週はいろいろな刺激が、1つのことを僕に考えさせようとしている感じがする…。
徹底してプレイヤーを尊重する講師先生のスタンスに感動した。
自分もそうありたいと思っていたけど、まだまだ甘いなと思った。
徹底して生徒を尊重する授業になっているかなぁ。
そして。
徹底して「鑑賞者」を尊重する鑑賞授業(活動)ってなんだろう?
どうしても自分の思いの方がですぎてしまう合唱の指揮(指導)は自分でも認識できるようになってきたけど(でもまだ修正するまでできないけど)、自分の思いの方がですぎてしまう鑑賞授業を自分でも認識できるだろうか、それをどう修正すればよいのだろうか?
だいたい鑑賞者は、どういう状態になれば「Happyな鑑賞ができた」と思うのだろうか?
今週はいろいろな刺激が、1つのことを僕に考えさせようとしている感じがする…。
2009年9月17日木曜日
新 授業の原理・原則
教室ツーウエイ10月号が届いた。
今月の特集は、「新 授業の原理・原則」。
1 1時間の授業に安定した流れがある
2 発問指示は何度繰り返しても同じ言葉で言える
3 作業指示・活動指示が明確である
4 説明がシンプルであり言葉が極めて短い
5 個別評定があり多くの子を褒めている
6 きれいでていねいなノートを全員が書いている
7 授業の流れが骨太であり脱線をしない
8 変化のある繰り返しで全員を習得させている
9 授業時間がのびない
10 いつも笑顔で子どもをどならない
いや~、6月の授業実践の前に読みたかった(最近情報に疎い?)。
もちろん、全部できる自信もないけれど。
新採用の頃、「授業の腕を上げる法則」に救われた。
やっと10か条そらんじて全部言えるようになった(できるようにはなっていない)ところで、この10か条。
現場復帰に向けての勉強も意識していかないとなぁ…。
今月の特集は、「新 授業の原理・原則」。
1 1時間の授業に安定した流れがある
2 発問指示は何度繰り返しても同じ言葉で言える
3 作業指示・活動指示が明確である
4 説明がシンプルであり言葉が極めて短い
5 個別評定があり多くの子を褒めている
6 きれいでていねいなノートを全員が書いている
7 授業の流れが骨太であり脱線をしない
8 変化のある繰り返しで全員を習得させている
9 授業時間がのびない
10 いつも笑顔で子どもをどならない
いや~、6月の授業実践の前に読みたかった(最近情報に疎い?)。
もちろん、全部できる自信もないけれど。
新採用の頃、「授業の腕を上げる法則」に救われた。
やっと10か条そらんじて全部言えるようになった(できるようにはなっていない)ところで、この10か条。
現場復帰に向けての勉強も意識していかないとなぁ…。
2009年9月16日水曜日
自分をくぐらせる
齋藤孝著『「読む・書く・話す」を一瞬でモノにする技術』を読んだ。
(「読む・書く・話す」ってPISA型を意識しているのかなぁ)
その中で「自分をくぐらせる」というフレーズが印象に残った。
「自分をくぐらせるとは、自分の暗黙知にいったん深く浸すような感覚をいう。暗黙知とは(中略)自分だけの世界といえる。「これ!」という情報に出会ったならば、その情報を一度、自分の世界に浸すようなイメージ。(中略)ぜひ、“くぐらせる”感覚をつかんでほしい。情報に出会ったとき、一度、自分をくぐらせておくと、その情報が自分のものになった、という感覚が生まれやすくなる。」
昨日、「内なる音をどう聴くか」という問題意識をしたばかりなので…。
つまり、鑑賞の授業で、生徒が「自分の世界」に聴いた音楽をくぐらせ、その結果生徒の「自分の世界」がどのように変容したかを知る。「自分の世界」をくぐらせた結果、どのように情報を処理したか(つまり批評)を知る。
また、生徒が「自分の世界」について自ら意識して鑑賞できるようにする。
それが、生徒の「内なる音」をどう聴くか、のヒントになるのだと思う。
もちろん、今までも、生徒自身に自分をくぐらせるよう聴いてほしいと何となく願って授業していたように思う。(ただ、その手立てはあまりにも脆弱なものだった)
どう具体的な手立てを講じるか、をこれから考えていきたい。
さて。自分はちゃんと情報を自分にくぐらせているかなぁ。それを「ワザ化」しているかなぁ。
本に触発されて、昨日買ってすぐ読んで、すぐくぐらせてアウトプットしたつもりなんだけど(笑)
(「読む・書く・話す」ってPISA型を意識しているのかなぁ)
その中で「自分をくぐらせる」というフレーズが印象に残った。
「自分をくぐらせるとは、自分の暗黙知にいったん深く浸すような感覚をいう。暗黙知とは(中略)自分だけの世界といえる。「これ!」という情報に出会ったならば、その情報を一度、自分の世界に浸すようなイメージ。(中略)ぜひ、“くぐらせる”感覚をつかんでほしい。情報に出会ったとき、一度、自分をくぐらせておくと、その情報が自分のものになった、という感覚が生まれやすくなる。」
昨日、「内なる音をどう聴くか」という問題意識をしたばかりなので…。
つまり、鑑賞の授業で、生徒が「自分の世界」に聴いた音楽をくぐらせ、その結果生徒の「自分の世界」がどのように変容したかを知る。「自分の世界」をくぐらせた結果、どのように情報を処理したか(つまり批評)を知る。
また、生徒が「自分の世界」について自ら意識して鑑賞できるようにする。
それが、生徒の「内なる音」をどう聴くか、のヒントになるのだと思う。
もちろん、今までも、生徒自身に自分をくぐらせるよう聴いてほしいと何となく願って授業していたように思う。(ただ、その手立てはあまりにも脆弱なものだった)
どう具体的な手立てを講じるか、をこれから考えていきたい。
さて。自分はちゃんと情報を自分にくぐらせているかなぁ。それを「ワザ化」しているかなぁ。
本に触発されて、昨日買ってすぐ読んで、すぐくぐらせてアウトプットしたつもりなんだけど(笑)
2009年9月15日火曜日
生徒の内に鳴っている音を理解する
富澤裕先生の合唱指導を参観した。
確証はないが、「この人は、その場になっている音というよりも、生徒の内に鳴っている音を聴いて評価している」ように思えた。
当然、今の僕にはそれができる由もないが、音楽教師ってそうあるべきではないだろうか、参観しながら思った。
そして。
鑑賞指導も同じなのだ、と思った。
「生徒の内にどう鳴ったかを共有して評価する」
難しい。抽象的すぎる。具体策が思い浮かばない。つまり現実的でない。
でも、音楽教師ってそうあるべきなんじゃないか。
でも、内なる思いを知るのは音楽に限ったことではない。
例えば、向山洋一先生は確か、
「生徒理解とは、子どもが自分自身をどう思っているかを、教師が知ることである」
とどこかで述べていた。
この感覚に近い。
それを研究するって…無謀だったなぁ…。
確証はないが、「この人は、その場になっている音というよりも、生徒の内に鳴っている音を聴いて評価している」ように思えた。
当然、今の僕にはそれができる由もないが、音楽教師ってそうあるべきではないだろうか、参観しながら思った。
そして。
鑑賞指導も同じなのだ、と思った。
「生徒の内にどう鳴ったかを共有して評価する」
難しい。抽象的すぎる。具体策が思い浮かばない。つまり現実的でない。
でも、音楽教師ってそうあるべきなんじゃないか。
でも、内なる思いを知るのは音楽に限ったことではない。
例えば、向山洋一先生は確か、
「生徒理解とは、子どもが自分自身をどう思っているかを、教師が知ることである」
とどこかで述べていた。
この感覚に近い。
それを研究するって…無謀だったなぁ…。
2009年9月14日月曜日
教材と向き合う(時もある)
今週、集中講義で指揮法がある。
テキストは「ブルタバ」(スメタナ)。
ちょっと調べ物をしたら、お恥ずかしながら知らないことが結構あった。
実は最近思うところがあって「魔王」(シューベルト)を練習している。
お恥ずかしながら、「へえ~」と思うところが結構あった。
10年間、この教材で鑑賞の授業をしてきたので、思うところがたくさんある。
せっかくの機会なので、じっくり取り組んで、授業化する際に生かせるようにしたい。
テキストは「ブルタバ」(スメタナ)。
ちょっと調べ物をしたら、お恥ずかしながら知らないことが結構あった。
実は最近思うところがあって「魔王」(シューベルト)を練習している。
お恥ずかしながら、「へえ~」と思うところが結構あった。
10年間、この教材で鑑賞の授業をしてきたので、思うところがたくさんある。
せっかくの機会なので、じっくり取り組んで、授業化する際に生かせるようにしたい。
2009年9月13日日曜日
文学作品の鑑賞指導と音楽の鑑賞指導はどう違う?
長野藤夫先生が、修士論文で「俳句鑑賞指導」について研究されたことをまとめられている。
その中で、先行研究から、文学作品における鑑賞を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していくこと」
と定義し、その上で鑑賞指導を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していく技術・方法の指導」
としている。
こういうふうにすっきりとした論を立てたいのだが…大変参考になるので時折長野先生の修士論文を読み返している。
では、音楽鑑賞とは何か? 音楽鑑賞指導とは何か?
これをすっきりと言い表している(それで納得できる)のになかなか出合えないのは、やはり自分の調査不足?
「すっきり表そうとすること自体が音楽の本質と違和感がある」という不文律が音楽教育界にあると感じるのはやはり自分の偏見?
…失礼しました。
他教科(美術とか)の比較も視野に入れつつ考えていきたい。
その中で、先行研究から、文学作品における鑑賞を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していくこと」
と定義し、その上で鑑賞指導を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していく技術・方法の指導」
としている。
こういうふうにすっきりとした論を立てたいのだが…大変参考になるので時折長野先生の修士論文を読み返している。
では、音楽鑑賞とは何か? 音楽鑑賞指導とは何か?
これをすっきりと言い表している(それで納得できる)のになかなか出合えないのは、やはり自分の調査不足?
「すっきり表そうとすること自体が音楽の本質と違和感がある」という不文律が音楽教育界にあると感じるのはやはり自分の偏見?
…失礼しました。
他教科(美術とか)の比較も視野に入れつつ考えていきたい。
2009年9月12日土曜日
自主ゼミメモ
夏休み5回目。
僕はとりあえず第1章第1節を書き上げ、読み合わせた。
1度序論を作成した時、「これは引用集か?」みたいな感じになり、自分の言葉で書き直すつもりで第2版を書いた。
それと同じで、現時点ではどうも納得いかないので、やっぱり同じように書き直す必要があるだろう。
まぁ、それはまた今度ということで、夏休み中はとりあえず先に進んでみたい。
次回は第2節をもっていく予定。
お相手は、授業が佳境。
具体的な授業の話は、楽しい。刺激になる。
今週は3時間、来週も1時間参観する予定。
僕ももう1度授業を構想して実践してみたいと思うが…。
論文に生かすにはもう厳しいけど…。
理論の話ばっかりしていると授業したくなるけど、実際するとなるとまたいろいろ大変だろうし。
バランスよく思考しながら論文執筆を進めていきたい。
僕はとりあえず第1章第1節を書き上げ、読み合わせた。
1度序論を作成した時、「これは引用集か?」みたいな感じになり、自分の言葉で書き直すつもりで第2版を書いた。
それと同じで、現時点ではどうも納得いかないので、やっぱり同じように書き直す必要があるだろう。
まぁ、それはまた今度ということで、夏休み中はとりあえず先に進んでみたい。
次回は第2節をもっていく予定。
お相手は、授業が佳境。
具体的な授業の話は、楽しい。刺激になる。
今週は3時間、来週も1時間参観する予定。
僕ももう1度授業を構想して実践してみたいと思うが…。
論文に生かすにはもう厳しいけど…。
理論の話ばっかりしていると授業したくなるけど、実際するとなるとまたいろいろ大変だろうし。
バランスよく思考しながら論文執筆を進めていきたい。
2009年9月11日金曜日
1人で考えることの限界と仲間からの発言のありがたさ
先日、後輩から、先日のブログを読んだとのことでメールをいただいた。無断で掲載する。
(この人は教育とは全く関係のない仕事をしている、合唱仲間です)
「自分の好きな音が見つからなかった~って子はすごいなぁって思いました。きっとその子の中には表現できないすてきな音があって、それに匹敵する実世界の音を見つけられなかったんだろうなって勝手に。私だったら何聞いても同じに聞こえる気がするし、まあこんなとこかなあと簡単に妥協するだろうから。昔、Y先輩が新聞のインタビューに答えていたのを横で聞いていたとき、作曲を始めたのは自分が聞きたい音楽がなかったから、じゃあ自分で作ろうと思ったからみたいなことを言われていたのを思い出しました。音が見つけられなかったといった子が将来すごい人になったりして…」
こういう何気ない発言から大切なことを学べる。
発信するって恥ずかしいけど大切だな。リアクションが自分の発信以上の思考の材料になる。
この発言から、やっぱり安易に好きな音探しや好きな音楽について語るという学習目標を授業で設定しない方がいいことを強く思った。(特に新潟人・上越人は。メールをくれた後輩も上越人)
メールいただき、ありがとうございました。
また今後ともよろしくお願いいたします。
(この人は教育とは全く関係のない仕事をしている、合唱仲間です)
「自分の好きな音が見つからなかった~って子はすごいなぁって思いました。きっとその子の中には表現できないすてきな音があって、それに匹敵する実世界の音を見つけられなかったんだろうなって勝手に。私だったら何聞いても同じに聞こえる気がするし、まあこんなとこかなあと簡単に妥協するだろうから。昔、Y先輩が新聞のインタビューに答えていたのを横で聞いていたとき、作曲を始めたのは自分が聞きたい音楽がなかったから、じゃあ自分で作ろうと思ったからみたいなことを言われていたのを思い出しました。音が見つけられなかったといった子が将来すごい人になったりして…」
こういう何気ない発言から大切なことを学べる。
発信するって恥ずかしいけど大切だな。リアクションが自分の発信以上の思考の材料になる。
この発言から、やっぱり安易に好きな音探しや好きな音楽について語るという学習目標を授業で設定しない方がいいことを強く思った。(特に新潟人・上越人は。メールをくれた後輩も上越人)
メールいただき、ありがとうございました。
また今後ともよろしくお願いいたします。
2009年9月10日木曜日
研修会にて 2
小林先生の講演の中で、一番印象に残ったのは、
「教育で新幹線を迎えうつ!」
というフレーズだ。
そんなこと、全く考えてなかった。
ご存知の通り、数年後、上越にも新幹線が通る。
その時までに、教育の力で地元の文化を盛り上げていたい、とのことだった。
小林先生は教育長を退かれたあとも、1人でそのための動きを模索していらっしゃるらしい。
いたく感激した。
上越の音楽文化を育てようとしてる実践者として、
上越の合唱文化を活性化させようとしている実践者として、
自分は何をどのようにすればいいのか?
もっと時代を意識した大きなヴィジョンを持ちたいものだ。
そしてそれを具現化する実践を作り上げたいものだ。
新幹線を迎えうつためには何が必要か? それはなぜか?
迎えうつべき上越らしい音楽文化(合唱文化)とは何か? それはなぜか?
目指す文化を具現化する実践とは何か? それはなぜか?
そのために、今、今後、未来に何をすべきか?
論文執筆の現実逃避の際、時折考えていこうと思う。
「教育で新幹線を迎えうつ!」
というフレーズだ。
そんなこと、全く考えてなかった。
ご存知の通り、数年後、上越にも新幹線が通る。
その時までに、教育の力で地元の文化を盛り上げていたい、とのことだった。
小林先生は教育長を退かれたあとも、1人でそのための動きを模索していらっしゃるらしい。
いたく感激した。
上越の音楽文化を育てようとしてる実践者として、
上越の合唱文化を活性化させようとしている実践者として、
自分は何をどのようにすればいいのか?
もっと時代を意識した大きなヴィジョンを持ちたいものだ。
そしてそれを具現化する実践を作り上げたいものだ。
新幹線を迎えうつためには何が必要か? それはなぜか?
迎えうつべき上越らしい音楽文化(合唱文化)とは何か? それはなぜか?
目指す文化を具現化する実践とは何か? それはなぜか?
そのために、今、今後、未来に何をすべきか?
論文執筆の現実逃避の際、時折考えていこうと思う。
2009年9月9日水曜日
研修会にて
小林毅夫先生(前上越市教育長)の講演を聞く。
テーマが「鼻の穴のふくらみに、また明日の実践を夢みる」。
なんじゃそりゃ?
話を聞いていて、なるほど~と思った。
子どもは、物事に意欲的になる時、鼻の穴がふくらむのだという。
そんなこと気付かなかった。
小林先生は、子どもの鼻の穴がふくらむかどうかが、実践の手応えの基準だったのだ。
こういう具体的でミクロでプロらしい視点、大好きである。
話を聞いて思い出した。
確か向山洋一先生は、「子どもは発言したい時、かすかに小指が動く」と書いていた。
これも、気付けたことはない。
プロは、眼力が違う。
音楽教育における「鼻の穴がふくらむ状態」はどういうものだろうか。
松下耕先生が、「いろいろ国際コンクールに出場して気付いたことは、どの国でも世界のトップクラスの合唱団は口がよく開いているということ」とおっしゃていた。
合唱の授業で、自然に口がよく開いて、体を揺らして歌っている生徒、これが理想だ。
(もちろん、なかなか難しいことだが)
では、鑑賞の授業ではどうだろうか。
「先生、もう1回聴こう」って声が上がることかなぁ…もっとずっしりと手応えのあるイメージを、想像できない…こういう時、自分はまだまだダメだなぁと思う。
小林先生は、あえて、テーマに主語を設定しなかった。
「教師が子どもの鼻の穴を」とも言えるし、「管理職が教師の」とも言えるし「旦那が奥さんの」とも言える…なるほど~
とりあえず、論文書きながらでも「先生。もう1回聴こう」という生徒の声を聞こうとするつもりでいたいものだ。
テーマが「鼻の穴のふくらみに、また明日の実践を夢みる」。
なんじゃそりゃ?
話を聞いていて、なるほど~と思った。
子どもは、物事に意欲的になる時、鼻の穴がふくらむのだという。
そんなこと気付かなかった。
小林先生は、子どもの鼻の穴がふくらむかどうかが、実践の手応えの基準だったのだ。
こういう具体的でミクロでプロらしい視点、大好きである。
話を聞いて思い出した。
確か向山洋一先生は、「子どもは発言したい時、かすかに小指が動く」と書いていた。
これも、気付けたことはない。
プロは、眼力が違う。
音楽教育における「鼻の穴がふくらむ状態」はどういうものだろうか。
松下耕先生が、「いろいろ国際コンクールに出場して気付いたことは、どの国でも世界のトップクラスの合唱団は口がよく開いているということ」とおっしゃていた。
合唱の授業で、自然に口がよく開いて、体を揺らして歌っている生徒、これが理想だ。
(もちろん、なかなか難しいことだが)
では、鑑賞の授業ではどうだろうか。
「先生、もう1回聴こう」って声が上がることかなぁ…もっとずっしりと手応えのあるイメージを、想像できない…こういう時、自分はまだまだダメだなぁと思う。
小林先生は、あえて、テーマに主語を設定しなかった。
「教師が子どもの鼻の穴を」とも言えるし、「管理職が教師の」とも言えるし「旦那が奥さんの」とも言える…なるほど~
とりあえず、論文書きながらでも「先生。もう1回聴こう」という生徒の声を聞こうとするつもりでいたいものだ。
2009年9月8日火曜日
学級通信
先日、5代目の学級の生徒数人と飲んだ。
「あの時のお前、おっかしかったよな~」
「先生、それ学級通信で書いたでしょ、それで余計恥ずかしかったよ」
あれ? 読まずに捨てられてると思ったけど…他にも「先生、ちゃんととってありますよ!」って奴がいた。
先日、前任校の体育祭で7代目の学級の保護者の方にあいさつされた。
「今、高校3年生です。必死に勉強しています。先生の学級通信で精神の方を鍛えています」
ひょえ~そんなたいそうなこと書いたっけかなぁ?
でも、結構嬉しかったです。
ひょっとして、書いてきた学級通信を一番大事にしていないのは僕かもしれない。
9年間で1000枚以上書いてきた。
駄作のオンパレードだと思うけど。
でも、自分の勉強のためにもう1度読み返してみよう。
優秀作(?)をこのブログに再褐しようかな。
もちろん、「100%引用」の記事はダメだけど。
学級通信を書かなくなって2年。
書かないときに反響を感じるなんて…でも世の中そんなもんなのかな。
読んでくださった皆さん。
覚えてくださってる皆さん。
まだとっておいてくださってる皆さん。
本当にありがとうございます!
「あの時のお前、おっかしかったよな~」
「先生、それ学級通信で書いたでしょ、それで余計恥ずかしかったよ」
あれ? 読まずに捨てられてると思ったけど…他にも「先生、ちゃんととってありますよ!」って奴がいた。
先日、前任校の体育祭で7代目の学級の保護者の方にあいさつされた。
「今、高校3年生です。必死に勉強しています。先生の学級通信で精神の方を鍛えています」
ひょえ~そんなたいそうなこと書いたっけかなぁ?
でも、結構嬉しかったです。
ひょっとして、書いてきた学級通信を一番大事にしていないのは僕かもしれない。
9年間で1000枚以上書いてきた。
駄作のオンパレードだと思うけど。
でも、自分の勉強のためにもう1度読み返してみよう。
優秀作(?)をこのブログに再褐しようかな。
もちろん、「100%引用」の記事はダメだけど。
学級通信を書かなくなって2年。
書かないときに反響を感じるなんて…でも世の中そんなもんなのかな。
読んでくださった皆さん。
覚えてくださってる皆さん。
まだとっておいてくださってる皆さん。
本当にありがとうございます!
2009年9月7日月曜日
自分の好きな音や音楽を探すことを本当に子どもは好きなのか?
小学校3・4年の複式学級で音楽づくりの授業を参観。
8時間扱いの題材の1時間目。
「自分のとっておきの音を探そう」ということで、いろんな楽器でいろんな鳴らし方を試しながら、自分の好きな音を見つけて、「何をどんな風に鳴らしたか」クイズを出し合おう、というわけ。
みんな楽しそうに活動していたと思うのだが、何人かの児童が、「見つけられなかった~」と言っていた。
「お気に入りの音を見つけられなかったら、この授業って…?」
これは、題材全体の導入にあたるわけで、この後の時間やメインの活動で、目標が達成されればいいので、ここでは試行錯誤の経験ができたこと大きいし、それはそれで意味があるだろう。
でも、児童にとっては、「授業の目標を達成できなかった…」という思いを抱いてしまうのではないか、という危惧がある。
かといって、それぞれの活動の目標をすべて確実に達成されるようにもっていくと、無理が生じることもあるだろうし…難しいところだ。
「自分の好きな音を見つける課題って、難しい…?」
自分の好きな音を見つける、というのは果たして授業の目標たりえるのか、と思ってしまった。
別に授業でやる必要がないともいえる。
また、自分の好きな音を見つけることが、すべての子どもが好きであるとはいえない。むしろ、確率的に好きでない方が多いかもしれない。
「自分の好きな音を探す」ということは、授業の意欲づけにはならないのではないか、という疑問がわいてきた。
「自分の好きな音は何か分析する方法を身につけ、ふだんの生活でそれを生かして探してもらう」というスタンスの方が自然かもしれない。
何か、第三者を意識したミッションを与えた方が、「授業」の中で、意欲を高めて活動ができるような気がするのである。
もちろん、「自分の好きな音を探すことがみんな好き」で、与えられた課題の中でそれをちゃんと探せることができ子どもを育てるのが一番いいとは思う。
ただ、それは高次目標になるのではないか。
では、批評文を書く行為にあたってはどうあるべきか?
これから考えていきたい。
8時間扱いの題材の1時間目。
「自分のとっておきの音を探そう」ということで、いろんな楽器でいろんな鳴らし方を試しながら、自分の好きな音を見つけて、「何をどんな風に鳴らしたか」クイズを出し合おう、というわけ。
みんな楽しそうに活動していたと思うのだが、何人かの児童が、「見つけられなかった~」と言っていた。
「お気に入りの音を見つけられなかったら、この授業って…?」
これは、題材全体の導入にあたるわけで、この後の時間やメインの活動で、目標が達成されればいいので、ここでは試行錯誤の経験ができたこと大きいし、それはそれで意味があるだろう。
でも、児童にとっては、「授業の目標を達成できなかった…」という思いを抱いてしまうのではないか、という危惧がある。
かといって、それぞれの活動の目標をすべて確実に達成されるようにもっていくと、無理が生じることもあるだろうし…難しいところだ。
「自分の好きな音を見つける課題って、難しい…?」
自分の好きな音を見つける、というのは果たして授業の目標たりえるのか、と思ってしまった。
別に授業でやる必要がないともいえる。
また、自分の好きな音を見つけることが、すべての子どもが好きであるとはいえない。むしろ、確率的に好きでない方が多いかもしれない。
「自分の好きな音を探す」ということは、授業の意欲づけにはならないのではないか、という疑問がわいてきた。
「自分の好きな音は何か分析する方法を身につけ、ふだんの生活でそれを生かして探してもらう」というスタンスの方が自然かもしれない。
何か、第三者を意識したミッションを与えた方が、「授業」の中で、意欲を高めて活動ができるような気がするのである。
もちろん、「自分の好きな音を探すことがみんな好き」で、与えられた課題の中でそれをちゃんと探せることができ子どもを育てるのが一番いいとは思う。
ただ、それは高次目標になるのではないか。
では、批評文を書く行為にあたってはどうあるべきか?
これから考えていきたい。
2009年9月6日日曜日
「学習指導要領完全準拠」訪問演奏
悪友のN良君がやっている訪問演奏を久しぶりに見物に行く。
Vn6、Vl2、Vc2 Cb1 だったかな?
これにソプラノ歌手とピアニストが各1。
「ぽんぽこストリングス」というらしい。
上越市・大潟区主催の「メロディーの楽校」の一環で行われ、20人くらいの小学生が聴衆。
会場は大潟区コミュニティプラザ多目的ホール。
(すてきなホール。ここで演奏会をしてみたくなった)
プログラムは、
○アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク (モーツアルト)
○楽器紹介
○春 第1楽章 (ヴィヴァルディ)
○楽器体験
(休憩)
○演奏体験
・カルメン前奏曲に合わせてシンバルを叩く
・アンパンマンマーチを指揮する
○質問コーナー
○ソプラノ独唱(解説の寸劇付き)
・私のお父さん (プッチーニ)
○みんなで歌う
・夏は来ぬ
・Believe
○アンコール
・崖の上のポニョ
N良君の軽妙なトーク、息のあった演奏(プログラム運営?も)でとても楽しく、すてきな時間を過ごすことができた。
これはN良君がライフワークでやっている訪問演奏のほぼ基本形。
彼は「学習指導要領完全準拠訪問演奏だ」と言っていた。
なるほど、と思わされることがいくつか。それは今後また機会があったら書きたい。
N良君、ありがとうございました!
Vn6、Vl2、Vc2 Cb1 だったかな?
これにソプラノ歌手とピアニストが各1。
「ぽんぽこストリングス」というらしい。
上越市・大潟区主催の「メロディーの楽校」の一環で行われ、20人くらいの小学生が聴衆。
会場は大潟区コミュニティプラザ多目的ホール。
(すてきなホール。ここで演奏会をしてみたくなった)
プログラムは、
○アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク (モーツアルト)
○楽器紹介
○春 第1楽章 (ヴィヴァルディ)
○楽器体験
(休憩)
○演奏体験
・カルメン前奏曲に合わせてシンバルを叩く
・アンパンマンマーチを指揮する
○質問コーナー
○ソプラノ独唱(解説の寸劇付き)
・私のお父さん (プッチーニ)
○みんなで歌う
・夏は来ぬ
・Believe
○アンコール
・崖の上のポニョ
N良君の軽妙なトーク、息のあった演奏(プログラム運営?も)でとても楽しく、すてきな時間を過ごすことができた。
これはN良君がライフワークでやっている訪問演奏のほぼ基本形。
彼は「学習指導要領完全準拠訪問演奏だ」と言っていた。
なるほど、と思わされることがいくつか。それは今後また機会があったら書きたい。
N良君、ありがとうございました!
2009年9月5日土曜日
自主ゼミメモ
ゼミ合宿後初の自主ゼミ。夏休み4回目。わりとまじめにやっています(笑)
僕はいよいよ第1章の第1節を書き始める(1日1ページペースだけど…)。
2人で読み合わせて、構成や書式に違和感のあるところを指摘してもらう。
ありがたい。1人じゃ自分に甘くなって気付かないところだ。
少しずつペースを上げていきたいものだ。
相手は来週行う指導案の検討。
理論的に筋が通っているか、それでいて楽しい授業になるか…自分のバランスの悪さを自覚しつつ話し合う。ちょっとは修正できたかな?
相手は小学校音楽科授業における導入のあり方について研究中。
導入の研究だけど、ちゃんと1クラス3時間バッチリ授業するらしい。
その中で、鑑賞したり、リコーダー演奏をしたりする中で
・導入:既習曲の演奏から、「強弱」「速度」「音色」の要素を知覚する。
・基礎・基本の定着:知覚した要素とそこからかもし出される曲想や雰囲気を感受したことを関連させる。
・思考:身体表現などを用いて、楽曲にふさわしいと自分なりに要素の扱いを考える。
・表現:自分なりの表現意図をもって演奏する。
というように、一貫した視点をもって授業を組み立てているところに大変感心した。
この一貫性を守りつつ、それでいて充実した活動するためにはどうすればいいか話し合ったが、それが楽しかった。大変勉強になった。
来週実際に授業を見に行くのが楽しみ。また勉強させてもらおう。
僕はいよいよ第1章の第1節を書き始める(1日1ページペースだけど…)。
2人で読み合わせて、構成や書式に違和感のあるところを指摘してもらう。
ありがたい。1人じゃ自分に甘くなって気付かないところだ。
少しずつペースを上げていきたいものだ。
相手は来週行う指導案の検討。
理論的に筋が通っているか、それでいて楽しい授業になるか…自分のバランスの悪さを自覚しつつ話し合う。ちょっとは修正できたかな?
相手は小学校音楽科授業における導入のあり方について研究中。
導入の研究だけど、ちゃんと1クラス3時間バッチリ授業するらしい。
その中で、鑑賞したり、リコーダー演奏をしたりする中で
・導入:既習曲の演奏から、「強弱」「速度」「音色」の要素を知覚する。
・基礎・基本の定着:知覚した要素とそこからかもし出される曲想や雰囲気を感受したことを関連させる。
・思考:身体表現などを用いて、楽曲にふさわしいと自分なりに要素の扱いを考える。
・表現:自分なりの表現意図をもって演奏する。
というように、一貫した視点をもって授業を組み立てているところに大変感心した。
この一貫性を守りつつ、それでいて充実した活動するためにはどうすればいいか話し合ったが、それが楽しかった。大変勉強になった。
来週実際に授業を見に行くのが楽しみ。また勉強させてもらおう。
2009年9月4日金曜日
2009年9月3日木曜日
オリジナルな指導法を目指すために
「知覚し感じ取ったことを基に、生徒が自分なりの意見を見いだし、解釈しながら聴き取り、そのよさや味わいなどについて、音楽に関する言葉などを用いて発言したり文章に書いて表すといったプロセスをおさえた実践が求められる」
(大熊信彦 『中等教育資料 平成18年7月号』より)
これを基本形とし(いや、今はこれもできないんだけど)、授業を組み立てることが「AさせたければAをする」になる(いや、それでも学習指導要領の目標の具現化なので、違う意味で「AさせるためにBをする」になっているかもしれないが)。
「逆向き設計」ではないけれど、Bという楽しい音楽的活動があり、その活動に夢中に取り組んでいるうちに知らず知らずのうちに生徒は基本形のプロセスをおさえていた、なんてのが理想だなぁ。
合唱を何年もやってなぜか突然生まれた「タンギング唱」「ADR唱」のような、オリジナルな指導法を生み出せるようになるためのは、鑑賞教育における勉強も経験もまだまだ足りないのかもしれない。
(大熊信彦 『中等教育資料 平成18年7月号』より)
これを基本形とし(いや、今はこれもできないんだけど)、授業を組み立てることが「AさせたければAをする」になる(いや、それでも学習指導要領の目標の具現化なので、違う意味で「AさせるためにBをする」になっているかもしれないが)。
「逆向き設計」ではないけれど、Bという楽しい音楽的活動があり、その活動に夢中に取り組んでいるうちに知らず知らずのうちに生徒は基本形のプロセスをおさえていた、なんてのが理想だなぁ。
合唱を何年もやってなぜか突然生まれた「タンギング唱」「ADR唱」のような、オリジナルな指導法を生み出せるようになるためのは、鑑賞教育における勉強も経験もまだまだ足りないのかもしれない。
2009年9月2日水曜日
AさせたければAさせてしまう
ゼミの仲間が、研究の実践検証するために授業を行う。
指導案を作成しているところで相談を受けた。
指導計画を作る際、
○指導内容
○教材
○学習活動
○評価
の4本柱をしっかり関連させる必要がある、と大熊信彦先生は述べている。
このことをつい昨日調べた。
そこで、「指導内容は?」「教材は?」…と4本柱の視点からチェックしてみる。
授業のネタや組み立てはおもしろそう。
ところが、4つの視点からみてすべて理にかなっているか、筋が通っているか、となると、なかなかそうはならないのである。
例えば、指導内容を確定し、教材を定め、学習活動を考えたのに、その学習活動の中に評価する場面がなかったりする(その学習活動自体は魅力的なのに)。
では、評価する場面を想定し、学習活動を考えようとするとなかなかアイデアが浮かばない。
音楽を形づくっている要素を知覚して、そこから醸し出される曲想や雰囲気を感受して、それをもとに表現を工夫する場や技能を高める場を設定したり、楽曲を味わう場を設定し…などと順番に考えていくと、授業的に面白くなかったりする。これはAさせたければAをするようなものだ。
これはなかなか難しい。
そして、今まで書いてきた指導案がでたらめだったということをお互い確認しあった…。
指導案を作成しているところで相談を受けた。
指導計画を作る際、
○指導内容
○教材
○学習活動
○評価
の4本柱をしっかり関連させる必要がある、と大熊信彦先生は述べている。
このことをつい昨日調べた。
そこで、「指導内容は?」「教材は?」…と4本柱の視点からチェックしてみる。
授業のネタや組み立てはおもしろそう。
ところが、4つの視点からみてすべて理にかなっているか、筋が通っているか、となると、なかなかそうはならないのである。
例えば、指導内容を確定し、教材を定め、学習活動を考えたのに、その学習活動の中に評価する場面がなかったりする(その学習活動自体は魅力的なのに)。
では、評価する場面を想定し、学習活動を考えようとするとなかなかアイデアが浮かばない。
音楽を形づくっている要素を知覚して、そこから醸し出される曲想や雰囲気を感受して、それをもとに表現を工夫する場や技能を高める場を設定したり、楽曲を味わう場を設定し…などと順番に考えていくと、授業的に面白くなかったりする。これはAさせたければAをするようなものだ。
これはなかなか難しい。
そして、今まで書いてきた指導案がでたらめだったということをお互い確認しあった…。
2009年9月1日火曜日
AさせたければBさせよ
学会で、Oliver Kramer氏(ロストック音楽演劇大学教授・ドイツ・ベルリン州)の講演があった。
その中で、大変興味深い話がいくつかあった。
ドイツの音楽教育の基本は、
「音楽は人生である」
ということだそうだ。
そのために、
・文化的アイデンティティを育てる
・学校では様々な体験をすべきである
ということを重視しているそうだ。
これは、新学習指導要領のスタンスとよく似ていると思う。
また、実際の学校教育現場では、
・生徒が能動的に学ぶ
・自己責任をもたせる 積極的コミュニケーションを取らせる
・繰り返し思考し、対話する
ことを目指しているそうだ。
これも、よく似ていると思う。
そのための実践発表もあったが、特に身体表現を重視するあたりで実践学会の発表と重なる部分が多かった。
ベルリンでは音楽を演奏したり創作したりすることと同じように、音楽を形成する行為として「音楽を他の表現方法に移しかえる」ことを目指しているそうだ。
芥川の小説ではないが、「つくりかへる力」は日本独特の力だとも思う。これを生かせないものか。
また、「AさせたければBと言え」という名言があるが、「AさせたければBさせよ」という授業が必要かもしれない。
生徒が夢中になって取り組みBという活動をしている中で知らず知らずのうちに、Aという知覚・感受する力が身についていたり、経験・分析・思考するプロセスを経験していたり…。
それが、身体表現であったり、図形楽譜であったり、ベルリンでの「彫像を作る」という実践であったりするのだろう。
そう考えると、自分の研究授業は直接的すぎた…そこからのひとひねりが…でもそれが難しいんだけど。
その中で、大変興味深い話がいくつかあった。
ドイツの音楽教育の基本は、
「音楽は人生である」
ということだそうだ。
そのために、
・文化的アイデンティティを育てる
・学校では様々な体験をすべきである
ということを重視しているそうだ。
これは、新学習指導要領のスタンスとよく似ていると思う。
また、実際の学校教育現場では、
・生徒が能動的に学ぶ
・自己責任をもたせる 積極的コミュニケーションを取らせる
・繰り返し思考し、対話する
ことを目指しているそうだ。
これも、よく似ていると思う。
そのための実践発表もあったが、特に身体表現を重視するあたりで実践学会の発表と重なる部分が多かった。
ベルリンでは音楽を演奏したり創作したりすることと同じように、音楽を形成する行為として「音楽を他の表現方法に移しかえる」ことを目指しているそうだ。
芥川の小説ではないが、「つくりかへる力」は日本独特の力だとも思う。これを生かせないものか。
また、「AさせたければBと言え」という名言があるが、「AさせたければBさせよ」という授業が必要かもしれない。
生徒が夢中になって取り組みBという活動をしている中で知らず知らずのうちに、Aという知覚・感受する力が身についていたり、経験・分析・思考するプロセスを経験していたり…。
それが、身体表現であったり、図形楽譜であったり、ベルリンでの「彫像を作る」という実践であったりするのだろう。
そう考えると、自分の研究授業は直接的すぎた…そこからのひとひねりが…でもそれが難しいんだけど。
2009年8月31日月曜日
2つの対話
さて。
構成活動を鑑賞授業に取り入れた際(いや、他のシュチュエーションでも同じだけど)、グループ活動での成果を個人のものにするためにはどうすればよいか、ということを考えなければならない。
グループ活動しながら、自己内対話が行われ、思考していることは間違いはない。
この段階の「思考」が外から見えにくかったり、時間がかかるものだったり、個人的の差異が大きかったりするから、見取りが大変なのだが…。
先述したが、グループ活動の中で、他者対話が行われ、周囲の成果を自分に取り入れることができることも大きい。このことが思考を活性化することは間違いないだろう。
個人の思考 (自己内対話)
グループ活動による分析・思考の交流 (他者対話)
この2つの対話が、授業中・活動中にどう行われているか、授業者側がよく把握していく必要があるだろう。
もちろん、難しいです。やってみてわかりました。
構成活動を鑑賞授業に取り入れた際(いや、他のシュチュエーションでも同じだけど)、グループ活動での成果を個人のものにするためにはどうすればよいか、ということを考えなければならない。
グループ活動しながら、自己内対話が行われ、思考していることは間違いはない。
この段階の「思考」が外から見えにくかったり、時間がかかるものだったり、個人的の差異が大きかったりするから、見取りが大変なのだが…。
先述したが、グループ活動の中で、他者対話が行われ、周囲の成果を自分に取り入れることができることも大きい。このことが思考を活性化することは間違いないだろう。
個人の思考 (自己内対話)
グループ活動による分析・思考の交流 (他者対話)
この2つの対話が、授業中・活動中にどう行われているか、授業者側がよく把握していく必要があるだろう。
もちろん、難しいです。やってみてわかりました。
2009年8月30日日曜日
図形楽譜を作成する活動と鑑賞
楽曲を聴いて、それを図形楽譜に表す活動をすることで、「構成活動」を仕組むという実践発表があった。実際に模擬授業を受けたのであるが、楽しく活動ができた。
楽曲分析の疑似体験が楽しい
ということを感じることができた。
このような思考プロセスを間におかないと、鑑賞授業において、批評力は高まってこないだろう。
2点、気になったことがある。
1つは、わざわざ楽譜が存在するクラシック音楽を聴いて、図形楽譜にする必要が本当にあるのか、ということである。確かに、自分が楽曲分析する時、メモ的に図化したりすることはよくある。だが、授業として、何か、本道ではないような感じがするのである。
逆に、楽譜が存在しない楽曲だからこそ、やってみたい、というのもある。(難しいだろうけど)
もう1つは、それこそ、民族音楽や日本音楽における「楽曲分析」とは何か、その疑似体験を楽しくするとはどういうことか、ということである。(まずだいたいあそういうアプローチが必要か否か?)
「構成活動」を意図することで鑑賞の能力を高めようとする実践は自分も拙いながらやったことがある。(自分はサウンド・エデュケーション的にやった)
しかし、それを限られた時数の中で行い、さらにその成長を評価しようとするとなるとなかなか大変だった覚えがある。しかし、生徒は楽しく取り組んでくれたことが印象に残っている。
楽曲分析の楽しい疑似体験=構成活動
を鑑賞授業の中に効果的に仕組めるようになりたいものだ。
(そういえば、この疑似体験に「対話」はつきもの? そうか!自然と対話が起こるような「活動」を仕組んでやればいいのか!)
楽曲分析の疑似体験が楽しい
ということを感じることができた。
このような思考プロセスを間におかないと、鑑賞授業において、批評力は高まってこないだろう。
2点、気になったことがある。
1つは、わざわざ楽譜が存在するクラシック音楽を聴いて、図形楽譜にする必要が本当にあるのか、ということである。確かに、自分が楽曲分析する時、メモ的に図化したりすることはよくある。だが、授業として、何か、本道ではないような感じがするのである。
逆に、楽譜が存在しない楽曲だからこそ、やってみたい、というのもある。(難しいだろうけど)
もう1つは、それこそ、民族音楽や日本音楽における「楽曲分析」とは何か、その疑似体験を楽しくするとはどういうことか、ということである。(まずだいたいあそういうアプローチが必要か否か?)
「構成活動」を意図することで鑑賞の能力を高めようとする実践は自分も拙いながらやったことがある。(自分はサウンド・エデュケーション的にやった)
しかし、それを限られた時数の中で行い、さらにその成長を評価しようとするとなるとなかなか大変だった覚えがある。しかし、生徒は楽しく取り組んでくれたことが印象に残っている。
楽曲分析の楽しい疑似体験=構成活動
を鑑賞授業の中に効果的に仕組めるようになりたいものだ。
(そういえば、この疑似体験に「対話」はつきもの? そうか!自然と対話が起こるような「活動」を仕組んでやればいいのか!)
2009年8月29日土曜日
2009年8月27日木曜日
音楽科における思考力
対話型音楽鑑賞授業を目指している。
6月に研究授業を行ったが、「対話をすること」が目的になってしまったような気がする。
「対話」をすることで、生徒は思考する
「対話」なら、楽しく思考できる
という視点が全く欠けていたことを反省した。
対話型にすることで、批評力を高めることを目指している。
研究授業では、「批評文を書かせること」が目的になってしまったような気がする。
批評文を書くまでのプロセスが思考であり、そのプロセスが楽しい
経験→分析→再経験→評価というプロセスの中で、分析することが楽しい
という視点がないと、鑑賞の授業(批評文を書くこと)は楽しくなくなる。この視点も全く欠けていた。
批評することは思考なのだ。
思考するプロセスを楽しくなるような工夫が必要だ。
この視点を入れて、授業モデルをもう1度考え直す必要がある。
6月に研究授業を行ったが、「対話をすること」が目的になってしまったような気がする。
「対話」をすることで、生徒は思考する
「対話」なら、楽しく思考できる
という視点が全く欠けていたことを反省した。
対話型にすることで、批評力を高めることを目指している。
研究授業では、「批評文を書かせること」が目的になってしまったような気がする。
批評文を書くまでのプロセスが思考であり、そのプロセスが楽しい
経験→分析→再経験→評価というプロセスの中で、分析することが楽しい
という視点がないと、鑑賞の授業(批評文を書くこと)は楽しくなくなる。この視点も全く欠けていた。
批評することは思考なのだ。
思考するプロセスを楽しくなるような工夫が必要だ。
この視点を入れて、授業モデルをもう1度考え直す必要がある。
2009年8月26日水曜日
イメージをもつこと・もたせること
絵画を用いた批評活動の実践について発表があった。
生徒がイメージが豊かになって、その後の批評活動が充実したとあり、大変参考になった。
そこで気になったことは、「批評の第1段階は、本当に『イメージ』か?」ということである。
(感情はありえると思う)
いわゆる西洋音楽ならばあると思う。
日本音楽や民族音楽で、最初にイメージを持たせることがはたして効果的なのだろうか?
どんな感情を持ったか、はあると思う。
かくいう自分も院に来るまでの10年間の実践で、イメージをいかにもたせるか、ということばかり考えていたと思う。そんな自分を反省していたので、かえって気になったのだと思う。
「音楽に対して、まず第1段階は『イメージ』」ではないのではないか。
ではどうあるべきか、とすぐ考えてしまうのだが、多様な音楽には多様なアプローチがある、とするのが自然か、そうだとすると研究するのは難しいなぁ、なんてことを考えてしまった。
生徒がイメージが豊かになって、その後の批評活動が充実したとあり、大変参考になった。
そこで気になったことは、「批評の第1段階は、本当に『イメージ』か?」ということである。
(感情はありえると思う)
いわゆる西洋音楽ならばあると思う。
日本音楽や民族音楽で、最初にイメージを持たせることがはたして効果的なのだろうか?
どんな感情を持ったか、はあると思う。
かくいう自分も院に来るまでの10年間の実践で、イメージをいかにもたせるか、ということばかり考えていたと思う。そんな自分を反省していたので、かえって気になったのだと思う。
「音楽に対して、まず第1段階は『イメージ』」ではないのではないか。
ではどうあるべきか、とすぐ考えてしまうのだが、多様な音楽には多様なアプローチがある、とするのが自然か、そうだとすると研究するのは難しいなぁ、なんてことを考えてしまった。
2009年8月25日火曜日
「身体表現」や「批評」を用いた鑑賞授業の問題点
私は「身体表現」が苦手である。
子どものころ、それをやるのは恥ずかしかった。
教師になって、それをさせるのもうまくできない。
「身体表現」を授業でうまく活用している先生を本当に尊敬している。
が、実践を見聞しても、どうしても違和感が残るのである(それは自分自身のせいであり、実践のせいではない)。
先日、批評文を書く活動を中心にすえた研究授業を行った。
「紹介文」ならまだしも、「批評文」を書くことに戸惑いを持つ生徒がとても多かった。
「書くことがなければ『鑑賞』が好きな人?」という問いにほとんどの生徒は手をあげていた。
(演奏することが好き?という問いにもほとんどが手を上げる生徒たちだったのだが)
歌唱や器楽は、良くも悪くも(?)音楽的である。
多分、生徒たちは、「音楽の授業であるならば避けては通れない」と無意識に感じているのではないか。だから好きだろうが嫌いだろうが、得意だろうが苦手だろうが、「取り組まなきゃいけないものだ」と思ってくれているような気がする。
だが、身体表現や批評は、音楽の授業でそれを行うことに関して、生徒は必然性を感じるだろうか?と漠然と思った。
つまりそれは、動機が弱いということである。そしてそれは意欲につながらない。
そのような状態でやることに意味があるのか、と思ってしまうのである。
歌唱や器楽に比べて、身体表現や批評は、「取り組む必然性を感じさせることからすでに難しい」のではないか。
(創作も難しいが、どちらかといえば歌唱や器楽の方に近いと感じる)
音楽の授業の中で、
批評することが、もっと当たり前に感じられるような、
批評したくてたまらなくなるような、
歌唱や器楽と同じように「発信」できることに喜びを感じられるような、
実践を作っていかなくてはならない。
(これは私が鑑賞教育の研究をしているために思うこと。身体表現に関しても同様ではないだろうか)
子どものころ、それをやるのは恥ずかしかった。
教師になって、それをさせるのもうまくできない。
「身体表現」を授業でうまく活用している先生を本当に尊敬している。
が、実践を見聞しても、どうしても違和感が残るのである(それは自分自身のせいであり、実践のせいではない)。
先日、批評文を書く活動を中心にすえた研究授業を行った。
「紹介文」ならまだしも、「批評文」を書くことに戸惑いを持つ生徒がとても多かった。
「書くことがなければ『鑑賞』が好きな人?」という問いにほとんどの生徒は手をあげていた。
(演奏することが好き?という問いにもほとんどが手を上げる生徒たちだったのだが)
歌唱や器楽は、良くも悪くも(?)音楽的である。
多分、生徒たちは、「音楽の授業であるならば避けては通れない」と無意識に感じているのではないか。だから好きだろうが嫌いだろうが、得意だろうが苦手だろうが、「取り組まなきゃいけないものだ」と思ってくれているような気がする。
だが、身体表現や批評は、音楽の授業でそれを行うことに関して、生徒は必然性を感じるだろうか?と漠然と思った。
つまりそれは、動機が弱いということである。そしてそれは意欲につながらない。
そのような状態でやることに意味があるのか、と思ってしまうのである。
歌唱や器楽に比べて、身体表現や批評は、「取り組む必然性を感じさせることからすでに難しい」のではないか。
(創作も難しいが、どちらかといえば歌唱や器楽の方に近いと感じる)
音楽の授業の中で、
批評することが、もっと当たり前に感じられるような、
批評したくてたまらなくなるような、
歌唱や器楽と同じように「発信」できることに喜びを感じられるような、
実践を作っていかなくてはならない。
(これは私が鑑賞教育の研究をしているために思うこと。身体表現に関しても同様ではないだろうか)
2009年8月24日月曜日
日本学校音楽教育実践学会 第14回全国大会
昨年から1度行ってみたいと思っていた学会。
全日本合唱コンクール新潟県大会と日程がぶつかっていたのだが、どうせ来年から夏休みはコンクール漬けになるんだ、行くとしたら今年しかない、というわけで、久しぶりにコンクールをサボった。
もちろん鑑賞の研究発表を中心に聞く。
中でも宮下俊也先生の発表に圧倒された。
(ここまで研究をしなきゃならないのか、と愕然ともしたが)
先生の発表後、恥ずかしげもなく、6月に行った研究授業の報告書をもらっていただいた。
(それも1つの目的だった)
発表はどれも参考になり、刺激になるものだが、発表以外でもまた違う大きな収穫があった。
「授業作りプロジェクト」での模擬授業で、3人グループを作ることになり、すでにできていた見ず知らずの2人組の中に入れていただいた。
その3人で活動しているうちに意気投合し、1日目終了後そのまま新宿へ飲みに行った。
そこでさらに意気投合して大いに語り合った。これがこの2日間で最も勉強になったことだ。
僕は、もし何かあったら、と思って余分に持っていった研究授業報告書をお2人に差し上げた。
いろいろご意見いただいたことに(それ以上に励まされたことに)本当に感謝したい。
「この3人で何かやりたいねぇ」なんて話にもなった。
現場に戻ってもこういうパワーを持っていたいものだ。
いろいろ考えさせられた2日間であり、そのことについては、また別項で書いていきたいと思う。
全日本合唱コンクール新潟県大会と日程がぶつかっていたのだが、どうせ来年から夏休みはコンクール漬けになるんだ、行くとしたら今年しかない、というわけで、久しぶりにコンクールをサボった。
もちろん鑑賞の研究発表を中心に聞く。
中でも宮下俊也先生の発表に圧倒された。
(ここまで研究をしなきゃならないのか、と愕然ともしたが)
先生の発表後、恥ずかしげもなく、6月に行った研究授業の報告書をもらっていただいた。
(それも1つの目的だった)
発表はどれも参考になり、刺激になるものだが、発表以外でもまた違う大きな収穫があった。
「授業作りプロジェクト」での模擬授業で、3人グループを作ることになり、すでにできていた見ず知らずの2人組の中に入れていただいた。
その3人で活動しているうちに意気投合し、1日目終了後そのまま新宿へ飲みに行った。
そこでさらに意気投合して大いに語り合った。これがこの2日間で最も勉強になったことだ。
僕は、もし何かあったら、と思って余分に持っていった研究授業報告書をお2人に差し上げた。
いろいろご意見いただいたことに(それ以上に励まされたことに)本当に感謝したい。
「この3人で何かやりたいねぇ」なんて話にもなった。
現場に戻ってもこういうパワーを持っていたいものだ。
いろいろ考えさせられた2日間であり、そのことについては、また別項で書いていきたいと思う。
2009年8月19日水曜日
2009年3月1日日曜日
2009年2月7日土曜日
2009年2月1日日曜日
2009年1月27日火曜日
2009年1月26日月曜日
2009年1月23日金曜日
2009年1月20日火曜日
ピアノのレッスン
一通りチェルニー30番の1番を弾く。
「先週の宿題の答えは?」
「この小節の三連符の長さが均等でなかったと思います」
「先週はそうでもなかったよ?」
…違った。
「1週間かけて、たった1小節の、右手のパッセージだけの問題がみつけられないの?」
…ガックリ来てしまった。
先生もそれでは困るみたいなことをずうっと言うので、
「じゃあもう1回見直します」
「でも、1週間かけてわからなかったんだから、やっても仕方ないんじゃない?」
久々にカチンときたので(自分が悪いにもかかわらず)
「そこまで言われてはいそうですかというわけにはいきません」
などと偉そうなことをいって出てきてしまった。
でも正直わからないんだよ~!
「やっぱりさ、世間で言われている『アハ体験』をした方がいいと思うから、自分で見つけてほしいんだよね」なんて言われても…正直教えてほしいんだよ~!
マイッタ…。
「先週の宿題の答えは?」
「この小節の三連符の長さが均等でなかったと思います」
「先週はそうでもなかったよ?」
…違った。
「1週間かけて、たった1小節の、右手のパッセージだけの問題がみつけられないの?」
…ガックリ来てしまった。
先生もそれでは困るみたいなことをずうっと言うので、
「じゃあもう1回見直します」
「でも、1週間かけてわからなかったんだから、やっても仕方ないんじゃない?」
久々にカチンときたので(自分が悪いにもかかわらず)
「そこまで言われてはいそうですかというわけにはいきません」
などと偉そうなことをいって出てきてしまった。
でも正直わからないんだよ~!
「やっぱりさ、世間で言われている『アハ体験』をした方がいいと思うから、自分で見つけてほしいんだよね」なんて言われても…正直教えてほしいんだよ~!
マイッタ…。
2009年1月19日月曜日
人間科学と教材開発 2
最後の2回の講義は、音楽学のM先生。
今日はその1回目。
いつもの通り、いろんな楽器を持ち込んでくる。
最初は、既成の概念をぶち壊すDVD鑑賞から。
最後はいろいろ楽器を体験する。
同じパターンで、よく見かける楽器たちなのだが、毎回楽しい。
「日本音楽の教材化」を研究されているのだが、今の自分には大変勉強になる。
ただ、「どう鑑賞するか」は、自分で考えなければならない。
M先生の授業を受けると、鑑賞の授業ではないのに明らかに「聴き方」が変わる。
ただ、良くも悪くも「日本的」なので、はっきりうまく説明できないのだ(←オイ
このエッセンスをうまく生かすことはできないものだろうか…。
というわけで、M先生の論文中心に、「日本音楽の鑑賞法」について、正直何もわかっていないので調べていく必要がある。今さらだけど…。
今日はその1回目。
いつもの通り、いろんな楽器を持ち込んでくる。
最初は、既成の概念をぶち壊すDVD鑑賞から。
最後はいろいろ楽器を体験する。
同じパターンで、よく見かける楽器たちなのだが、毎回楽しい。
「日本音楽の教材化」を研究されているのだが、今の自分には大変勉強になる。
ただ、「どう鑑賞するか」は、自分で考えなければならない。
M先生の授業を受けると、鑑賞の授業ではないのに明らかに「聴き方」が変わる。
ただ、良くも悪くも「日本的」なので、はっきりうまく説明できないのだ(←オイ
このエッセンスをうまく生かすことはできないものだろうか…。
というわけで、M先生の論文中心に、「日本音楽の鑑賞法」について、正直何もわかっていないので調べていく必要がある。今さらだけど…。
2009年1月17日土曜日
リコーダー研修会
来月7日に行われる、「春を呼ぶコンサート」に、リコーダーアンサンブルで出演する。
今日は最後の練習があった。
講師は北村正彦先生。
このご指導がとっても楽しい。笑いが絶えない。それでいてうまくなった気がする。こういう指導をしたいものだと、ご指導をいただくたび思う。
昔、北村先生のご指導をヒントに、自分なりのリコーダー指導システムを構想したことがある。
3校目ではリコーダーがなく、もう4年ほどリコーダー指導をしていない。
ちょっと復習しておかなくてはいけない。
僕は1曲ソプラニーノでソロを吹く部分がある。
しかも名曲のおいしい部分。結構緊張する…。
今日は最後の練習があった。
講師は北村正彦先生。
このご指導がとっても楽しい。笑いが絶えない。それでいてうまくなった気がする。こういう指導をしたいものだと、ご指導をいただくたび思う。
昔、北村先生のご指導をヒントに、自分なりのリコーダー指導システムを構想したことがある。
3校目ではリコーダーがなく、もう4年ほどリコーダー指導をしていない。
ちょっと復習しておかなくてはいけない。
僕は1曲ソプラニーノでソロを吹く部分がある。
しかも名曲のおいしい部分。結構緊張する…。
2009年1月16日金曜日
2009年1月15日木曜日
人間科学と教材開発
という授業がある。
後期の授業で、これまで、
○「よだかの星」の解釈 (国語)
○身体表現と創作 (体育&美術)
○日本の神話をどう教えるか (宗教学)
○生活科について
と、教授陣が交代で授業してきた。
どれも興味深く、楽しい授業だった。
前回と今回は、英語科教育について。
O先生は、第2言語習得理論と現行の中学校英語教科書で、身に付けていく内容の順番が違うことを教科書分析から指摘した。これもなかなか興味深い内容だった。
音楽教育(音楽科教育)における「技能習得」は、かなり理論化されているのではないかと思う。
果たして、「鑑賞の能力の習得」は、どれだけ理論化されているのだろうか?
なぜ、ついこの間まで1年生で「春」や「魔王」を聴かせていたのだろう? (共通教材ではなくなったが、今でも教科書にあるところもある)
当たり前のようにやってきたことも疑ってかかる必要があるようだ。
(そんなことも知らんのか、とお叱りを受けそうでもあるが)
「鑑賞教育における能力の習得理論」を学べば、「授業実践」と「基礎理論」をつなぐ「カリキュラム論」につながっていくのではないか。じつはその「カリキュラム論」だけは具体的イメージがわかなかったので、正直この授業と出会えたことは助かった。
でも難しそうだけど…。
後期の授業で、これまで、
○「よだかの星」の解釈 (国語)
○身体表現と創作 (体育&美術)
○日本の神話をどう教えるか (宗教学)
○生活科について
と、教授陣が交代で授業してきた。
どれも興味深く、楽しい授業だった。
前回と今回は、英語科教育について。
O先生は、第2言語習得理論と現行の中学校英語教科書で、身に付けていく内容の順番が違うことを教科書分析から指摘した。これもなかなか興味深い内容だった。
音楽教育(音楽科教育)における「技能習得」は、かなり理論化されているのではないかと思う。
果たして、「鑑賞の能力の習得」は、どれだけ理論化されているのだろうか?
なぜ、ついこの間まで1年生で「春」や「魔王」を聴かせていたのだろう? (共通教材ではなくなったが、今でも教科書にあるところもある)
当たり前のようにやってきたことも疑ってかかる必要があるようだ。
(そんなことも知らんのか、とお叱りを受けそうでもあるが)
「鑑賞教育における能力の習得理論」を学べば、「授業実践」と「基礎理論」をつなぐ「カリキュラム論」につながっていくのではないか。じつはその「カリキュラム論」だけは具体的イメージがわかなかったので、正直この授業と出会えたことは助かった。
でも難しそうだけど…。
2009年1月14日水曜日
音楽科教育実践学研究
西園芳信先生が、ご自身の博士論文のなかで、
①哲学的・原理的研究方法
②歴史的研究方法
③比較的研究方法
④実験的研究方法
⑤実践的研究方法
と、研究方法を記している。
さて。自分の研究にあてはめるとどうなるか。
①鑑賞指導の原理・原則について調べる→やってなかった
②鑑賞指導の歴史について調べる→調査中
③鑑賞指導について他国と比較する→近々やる予定だった
④理論を実験してみる→考えてなかった
⑤実践する→ぜひやりたいと考えていた
①をどのように限定するかがポイントか?
①哲学的・原理的研究方法
②歴史的研究方法
③比較的研究方法
④実験的研究方法
⑤実践的研究方法
と、研究方法を記している。
さて。自分の研究にあてはめるとどうなるか。
①鑑賞指導の原理・原則について調べる→やってなかった
②鑑賞指導の歴史について調べる→調査中
③鑑賞指導について他国と比較する→近々やる予定だった
④理論を実験してみる→考えてなかった
⑤実践する→ぜひやりたいと考えていた
①をどのように限定するかがポイントか?
2009年1月13日火曜日
2009年1月9日金曜日
歌のレッスン
今年初めて、もっと言うと、昨年10月の院生演奏会の前以来の歌のレッスンがあった。
本来は前期だけだったのだが、「自主ゼミ的にドイツリートをやらないか」と先生から提案があり、それにのったというわけ。
ただ、あくまで「自主ゼミ」なので、なかなか先生と都合をあわせるのが難しく、やっと実現。
持って行ったのは《詩人の恋》の1~5、7曲目。
○声のポイントをいつでも一定にする。
○そして先ず滑らかに歌う。それに歌詞が乗るようになると良い。
○まだ力が入るし硬い。軽やかに。
「ドイツに留学した時は『次《詩人の恋》やってきて』といわれたら、それは全曲を意味したんだよね」
…すいません。
来週はセンター試験のためなし。
「2週間あるね、全部やっといてよ。毎日1回は通して歌うとかしてさ」
…なんかエライことになってきたな…。
でも1月~3月は歌に関しては《詩人の恋》にちょっとハマッてみるかな。
本来は前期だけだったのだが、「自主ゼミ的にドイツリートをやらないか」と先生から提案があり、それにのったというわけ。
ただ、あくまで「自主ゼミ」なので、なかなか先生と都合をあわせるのが難しく、やっと実現。
持って行ったのは《詩人の恋》の1~5、7曲目。
○声のポイントをいつでも一定にする。
○そして先ず滑らかに歌う。それに歌詞が乗るようになると良い。
○まだ力が入るし硬い。軽やかに。
「ドイツに留学した時は『次《詩人の恋》やってきて』といわれたら、それは全曲を意味したんだよね」
…すいません。
来週はセンター試験のためなし。
「2週間あるね、全部やっといてよ。毎日1回は通して歌うとかしてさ」
…なんかエライことになってきたな…。
でも1月~3月は歌に関しては《詩人の恋》にちょっとハマッてみるかな。
2009年1月8日木曜日
あと1年!
今、院の2年生は論文の締切り直前。
切羽詰った雰囲気が漂っている。
「来年の今頃は…」なんて考えると、もう焦りも感じてしまう。
だからというわけではないが、数年前の先輩の論文を1つ腰を落ち着けて読んでみることにした。
といいつつ、「鑑賞」とは直接関係のないものを選んでしまった。
院では先輩だけど、高校・大学の後輩であるとーこの論文だ。
今歌っているシューマンの《詩人の恋》についての研究だ。
論文に演奏したCDが添付されている。
お恥ずかしい話、初めて、ここの大学の修士論文を最初から最後まで読み通した(途中1度記憶を失ったが)。
とーこの論文はすばらしい内容で、負けないようにしなくてはと思った。
それとともに、何となく論文を書くということが見えてきた。
締め切り1年前、今のうちにもう少し人の論文を腰を落ち着けて読む必要があると思った。
(最近は雑誌論文や紀要論文を中心に集めていたもので…)
今度は「鑑賞」関係のものを読んで、さらにイメージを固めていこう。
でもそればっかだと実際の作業は進まないんだよね。
論文の作業も進めないと…。
あと1年! (自分に喝を入れてみた)
切羽詰った雰囲気が漂っている。
「来年の今頃は…」なんて考えると、もう焦りも感じてしまう。
だからというわけではないが、数年前の先輩の論文を1つ腰を落ち着けて読んでみることにした。
といいつつ、「鑑賞」とは直接関係のないものを選んでしまった。
院では先輩だけど、高校・大学の後輩であるとーこの論文だ。
今歌っているシューマンの《詩人の恋》についての研究だ。
論文に演奏したCDが添付されている。
お恥ずかしい話、初めて、ここの大学の修士論文を最初から最後まで読み通した(途中1度記憶を失ったが)。
とーこの論文はすばらしい内容で、負けないようにしなくてはと思った。
それとともに、何となく論文を書くということが見えてきた。
締め切り1年前、今のうちにもう少し人の論文を腰を落ち着けて読む必要があると思った。
(最近は雑誌論文や紀要論文を中心に集めていたもので…)
今度は「鑑賞」関係のものを読んで、さらにイメージを固めていこう。
でもそればっかだと実際の作業は進まないんだよね。
論文の作業も進めないと…。
あと1年! (自分に喝を入れてみた)
2009年1月7日水曜日
音楽鑑賞教育史を考える
「音楽ジャーナリスト入門 -マッチ、ポンプといわれた男」(中曽根松衛著、芸術現代社)をざっと読んだ(もう一度じっくり読み直す必要がある)。
戦前の、特にジャーナリストの立場からの「批評」についての記述に興味をもった。
そして、その時代背景も。
今、寺田貴雄先生の論文を中心に、「日本音楽鑑賞教育史」を俯瞰しているところ。
さっさと終わらそうと思ったが、これが手ごわかった。
誰がどんな主張をしたかだけまとめていても、なにかこう、しっくりこないのである。
その思いは、先日「日本文化モダン・ラプソディー」(渡辺裕著、春秋社)読んだ時から強くなってきた。
「世界史的」「日本史的」「日本教育史的」「日本音楽教育史的」「世間の音楽史的」を横軸にして、縦軸を追っていく必要があると思った。
そうすると、デューイやペスタロッチが避けて通れないのである。
あともう1度「聞き書き 井上頼豊」も読み直さなくてはならない。
その上で、「音楽鑑賞教育史」を語らなくてはならないのではないか。
ひょえ~戦前だけでも大変だよ。
まぁ、文献を読んで、表にしてまとめながら、「鑑賞教育 不易と流行」をここで語れたらいいですね(←かっこいい~でも大変そう…)
書籍購入メモ
「音楽ジャーナリスト入門 -マッチ、ポンプといわれた男」
「グレゴリオ聖歌入門」 ドム・ダニエル・ソルニエ著 渡辺宏子訳 サン パウロ
「音楽と音楽家」 シューマン著 吉田秀和訳
「音楽を最高に楽しむためのセルフコーチ力 上達する人 長続きする人」 辻秀一著 YAMAHA
「うたの不思議 『白いうた 青いうた』の秘密」 新実徳英著 音楽之友社
CD購入メモ
「日本音楽入門」 ビクター
「シューマン 《詩人の恋》」 フィッシャー=ディースカウ グラモフォン
「混声合唱組曲 朝のリレー」 教育芸術社
戦前の、特にジャーナリストの立場からの「批評」についての記述に興味をもった。
そして、その時代背景も。
今、寺田貴雄先生の論文を中心に、「日本音楽鑑賞教育史」を俯瞰しているところ。
さっさと終わらそうと思ったが、これが手ごわかった。
誰がどんな主張をしたかだけまとめていても、なにかこう、しっくりこないのである。
その思いは、先日「日本文化モダン・ラプソディー」(渡辺裕著、春秋社)読んだ時から強くなってきた。
「世界史的」「日本史的」「日本教育史的」「日本音楽教育史的」「世間の音楽史的」を横軸にして、縦軸を追っていく必要があると思った。
そうすると、デューイやペスタロッチが避けて通れないのである。
あともう1度「聞き書き 井上頼豊」も読み直さなくてはならない。
その上で、「音楽鑑賞教育史」を語らなくてはならないのではないか。
ひょえ~戦前だけでも大変だよ。
まぁ、文献を読んで、表にしてまとめながら、「鑑賞教育 不易と流行」をここで語れたらいいですね(←かっこいい~でも大変そう…)
書籍購入メモ
「音楽ジャーナリスト入門 -マッチ、ポンプといわれた男」
「グレゴリオ聖歌入門」 ドム・ダニエル・ソルニエ著 渡辺宏子訳 サン パウロ
「音楽と音楽家」 シューマン著 吉田秀和訳
「音楽を最高に楽しむためのセルフコーチ力 上達する人 長続きする人」 辻秀一著 YAMAHA
「うたの不思議 『白いうた 青いうた』の秘密」 新実徳英著 音楽之友社
CD購入メモ
「日本音楽入門」 ビクター
「シューマン 《詩人の恋》」 フィッシャー=ディースカウ グラモフォン
「混声合唱組曲 朝のリレー」 教育芸術社
2009年1月6日火曜日
練習始め
今年初めて大学へ。
授業はまだ始まらないのだが、歌とピアノの練習をしに行った。
白状します…ほぼ2週間ぶりでした。
12月23日 新潟へコンサートを聴きに行く
12月24~25日 友達と旅行
12月26~27日 音鑑の「冬の学習会」参加
12月28~29日 NEWS合宿
12月30日~1月4日は「完全オフ」だった。
まずピアノ。
指に力が入らずカラカラ回る感じ。しっかり弾こうとしたらすぐに痛みが…。
そして歌。
念入りに発声したらすぐに喉が枯れ…。
恥ずかしい。
その後図書館へ。
1月6・7日は東京に行くのでまたオフ。
1月8・9日はしっかり練習しないと、また3連休が…。
連休明け13日にピアノレッスン。
あ、9日に歌のレッスンだ。
やばいやばい。
授業はまだ始まらないのだが、歌とピアノの練習をしに行った。
白状します…ほぼ2週間ぶりでした。
12月23日 新潟へコンサートを聴きに行く
12月24~25日 友達と旅行
12月26~27日 音鑑の「冬の学習会」参加
12月28~29日 NEWS合宿
12月30日~1月4日は「完全オフ」だった。
まずピアノ。
指に力が入らずカラカラ回る感じ。しっかり弾こうとしたらすぐに痛みが…。
そして歌。
念入りに発声したらすぐに喉が枯れ…。
恥ずかしい。
その後図書館へ。
1月6・7日は東京に行くのでまたオフ。
1月8・9日はしっかり練習しないと、また3連休が…。
連休明け13日にピアノレッスン。
あ、9日に歌のレッスンだ。
やばいやばい。
2009年1月5日月曜日
「鑑賞」にこだわる理由
「鑑賞」について発信できるようになりたい、と思ったことにはもう1つ理由がある。
月刊「音楽鑑賞教育」が2010年3月で月刊発行を終了し、季刊となる
ことがつい先日判明したからだ。
正直ショックだった。
昨年から購読を始めたのだが、毎月勉強になった。
他に発行する書籍もすばらしく、ICTに関する研究も進んでいた。
なのに、「資金難」だという。読者が増えなかったという。
「冬の勉強会」に参加し、感動して帰ってきた矢先の1月号による発表だった。
(私はちなみにこの雑誌の値段は安すぎると思う。年間購読料は倍払ってもいい。そしてそれが音楽鑑賞教育振興会の研究を支えるのであれば…)
これだけすばらしい研究をしているのに、今後は「鑑賞」が重要視されそうなのに、なぜ?
これは現状や将来とは裏腹に、この分野が活性化していないことの証明ではないか、と思ってしまう。
数年前、明治図書の「総合的学習を創る」が廃刊になったことも個人的に大変残念であった。
「総合的学習はこれから真価が問われる!」と思っていた矢先、世の不要論に負けた格好になった。
(私は総合的学習が大好きである)
私はこのまま「鑑賞」が先細りになってしまうことに強い危機感を抱いた。
何か自分で発信できないか?
今の研究を生かすことはできないか?
上越から鑑賞教育について新たな動きを見せれたら…なんて大それたことを考えてみた。
多分、すぐ頓挫するとは思うが…。
月刊「音楽鑑賞教育」が2010年3月で月刊発行を終了し、季刊となる
ことがつい先日判明したからだ。
正直ショックだった。
昨年から購読を始めたのだが、毎月勉強になった。
他に発行する書籍もすばらしく、ICTに関する研究も進んでいた。
なのに、「資金難」だという。読者が増えなかったという。
「冬の勉強会」に参加し、感動して帰ってきた矢先の1月号による発表だった。
(私はちなみにこの雑誌の値段は安すぎると思う。年間購読料は倍払ってもいい。そしてそれが音楽鑑賞教育振興会の研究を支えるのであれば…)
これだけすばらしい研究をしているのに、今後は「鑑賞」が重要視されそうなのに、なぜ?
これは現状や将来とは裏腹に、この分野が活性化していないことの証明ではないか、と思ってしまう。
数年前、明治図書の「総合的学習を創る」が廃刊になったことも個人的に大変残念であった。
「総合的学習はこれから真価が問われる!」と思っていた矢先、世の不要論に負けた格好になった。
(私は総合的学習が大好きである)
私はこのまま「鑑賞」が先細りになってしまうことに強い危機感を抱いた。
何か自分で発信できないか?
今の研究を生かすことはできないか?
上越から鑑賞教育について新たな動きを見せれたら…なんて大それたことを考えてみた。
多分、すぐ頓挫するとは思うが…。
2009年1月4日日曜日
そして今年の抱負
まずは、
・論文を完成させる
こと。
そして、
・声楽・ピアノのレッスン
をがんばること。
さらに、
・リコーダーも含めた表現活動(発表活動)
をがんばること。
研究が「鑑賞」なので、院の授業や活動では「表現」を重視していきたい。
これらは、音楽教師としての根元を(しかも現場に出たらできない)つくるために取り組む。
あとは、「異邦人の会」の活動。
今年も月1度は集まりたい。
昨年は集まるだけだったが、今年は提案(発信)をできるようにしたい。
それを「鑑賞」でやる。
実は、上越音楽教育研究会というところはすごいところだと思う。
年1回、「春を呼ぶコンサート」で、音楽教師による演奏会をする。
それに向けて、合同合唱団(コールスプリング)や、男声合唱団(J)、リコーダーアンサンブルが講師を招いて練習会をする。
また、授業研究サークルがほぼ月1度開かれている。
年に2回研修会が開かれ、年に1度研究大会がある。
正直、これ全部に参加するのは大変なことなのだが、不思議なことがある。
そう、「鑑賞」に関する研修がないのである。
これではあまりにもバランスが悪い。
そこで、勝手に「上越鑑賞教育研究会」(仮称)を作ってしまおうかと、企んでいる。
この活動を「異邦人の会」例会で報告する。
これは、「授業力向上」の一環になるだろう。
というわけで、
・論文を書く(研究を進める)
・表現活動に積極的に取り組む
・「異邦人の会」の活性化
を今年は目指します。
そんな日々の記録を、このブログにまとめていきます。
2009年1月2日金曜日
心機一転
こちらも心機一転して。
残り1年余りの大学院生活を中心に「教師修業日誌」をつづります。
先ずは反省から。
教師修業と、合唱指揮者修業(さらに研究者修業)を合わせたブログをこの昨年5月から開始しましたが、うまく行きませんでした。
大学院で悶々としているうちに、合唱の方で心機一転する出来事が起きてしまった。
ようやく最近、自分の研究の方向性が見えてきた。
そうすると、「研究すること」と「(音楽)教師力を上げること」がはっきり分かれる。
やっぱり自分には、両立するのは大変だけど2つのスタイルを分けた方が合っているようです。
なお、研究者修業用(論文用)は、また別ブログを立てます(←大丈夫か?)
自分のやっていたことを無理に全部研究につなげようとしたのが間違いでした。
というわけで、
・大学院での学び
・音楽鑑賞教育についての発信
を中心に、ここでは記録していきます。
教師修業ブログはこれで4年で4つ目…続くかなぁ。
残り1年余りの大学院生活を中心に「教師修業日誌」をつづります。
先ずは反省から。
教師修業と、合唱指揮者修業(さらに研究者修業)を合わせたブログをこの昨年5月から開始しましたが、うまく行きませんでした。
大学院で悶々としているうちに、合唱の方で心機一転する出来事が起きてしまった。
ようやく最近、自分の研究の方向性が見えてきた。
そうすると、「研究すること」と「(音楽)教師力を上げること」がはっきり分かれる。
やっぱり自分には、両立するのは大変だけど2つのスタイルを分けた方が合っているようです。
なお、研究者修業用(論文用)は、また別ブログを立てます(←大丈夫か?)
自分のやっていたことを無理に全部研究につなげようとしたのが間違いでした。
というわけで、
・大学院での学び
・音楽鑑賞教育についての発信
を中心に、ここでは記録していきます。
教師修業ブログはこれで4年で4つ目…続くかなぁ。
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