2009年8月25日火曜日

「身体表現」や「批評」を用いた鑑賞授業の問題点

私は「身体表現」が苦手である。
子どものころ、それをやるのは恥ずかしかった。
教師になって、それをさせるのもうまくできない。
「身体表現」を授業でうまく活用している先生を本当に尊敬している。
が、実践を見聞しても、どうしても違和感が残るのである(それは自分自身のせいであり、実践のせいではない)。

先日、批評文を書く活動を中心にすえた研究授業を行った。
「紹介文」ならまだしも、「批評文」を書くことに戸惑いを持つ生徒がとても多かった。
「書くことがなければ『鑑賞』が好きな人?」という問いにほとんどの生徒は手をあげていた。
(演奏することが好き?という問いにもほとんどが手を上げる生徒たちだったのだが)

歌唱や器楽は、良くも悪くも(?)音楽的である。
多分、生徒たちは、「音楽の授業であるならば避けては通れない」と無意識に感じているのではないか。だから好きだろうが嫌いだろうが、得意だろうが苦手だろうが、「取り組まなきゃいけないものだ」と思ってくれているような気がする。
だが、身体表現や批評は、音楽の授業でそれを行うことに関して、生徒は必然性を感じるだろうか?と漠然と思った。
つまりそれは、動機が弱いということである。そしてそれは意欲につながらない。
そのような状態でやることに意味があるのか、と思ってしまうのである。
歌唱や器楽に比べて、身体表現や批評は、「取り組む必然性を感じさせることからすでに難しい」のではないか。
(創作も難しいが、どちらかといえば歌唱や器楽の方に近いと感じる)

音楽の授業の中で、
批評することが、もっと当たり前に感じられるような、
批評したくてたまらなくなるような、
歌唱や器楽と同じように「発信」できることに喜びを感じられるような、
実践を作っていかなくてはならない。
(これは私が鑑賞教育の研究をしているために思うこと。身体表現に関しても同様ではないだろうか)

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