仲間から相談を受けた。
現時点で、自分なりの理論(というほどでもないが)で、授業を構想してみた。
○楽曲との出会い(印象的になるよう演出を工夫する)
○1つ要素を絞って、聴き取る力・感じ取る力を高める学習・活動をする (僕ならスイングのリズムかな)
○何曲か「オリジナル曲とそれをジャズアレンジした曲の比べ聴き」をして、自分なりに感じ取ったことをまとめる
○批評文を書く
(だから、教材曲は比較聴取できる楽曲が望ましい)
まぁ、机上の空論だけどね…。
仲間は面白そうといってくれたけど…教材研究(楽曲を探したり分析したり)する余裕が現場にいたらないかもねぇ…もし実践したらちゃんと報告してくれるようにお願いしました。
2009年9月30日水曜日
2009年9月29日火曜日
自主ゼミメモ
指揮法の集中講義と5連休で完全に論文執筆の筆が止まり、あわてて第1章のアウトラインを作り直して持参。
来週から後期の授業が始まり、ゼミが再開するので、それまでにこのアウトラインをもとに進めるだけ進めないと…。
お相手は今月授業実践を行い、その報告書を作っている最中。
人の話を聞いている時の方が頭が回る気がする…。こちらもがんばらねば。
先生バッサリ斬ってもらうゼミ以外に、こうやってざっくばらんに話せる自主ゼミを今後も続けよう、ということになった。
結局、夏休み中は自主ゼミ6回+ゼミ合宿を行った。
いい締め切り効果になったし、今後もそうなるかも。
異邦人の会の例会もしたいなぁ。
来週から後期の授業が始まり、ゼミが再開するので、それまでにこのアウトラインをもとに進めるだけ進めないと…。
お相手は今月授業実践を行い、その報告書を作っている最中。
人の話を聞いている時の方が頭が回る気がする…。こちらもがんばらねば。
先生バッサリ斬ってもらうゼミ以外に、こうやってざっくばらんに話せる自主ゼミを今後も続けよう、ということになった。
結局、夏休み中は自主ゼミ6回+ゼミ合宿を行った。
いい締め切り効果になったし、今後もそうなるかも。
異邦人の会の例会もしたいなぁ。
2009年9月28日月曜日
音楽を語ること
先日、高校合唱部OB会の合宿の酒宴にて。
80歳の大先輩が、シベリウスやベートーヴェン、モーツアルトについて熱く語っていた。
確か本業(?)は高校の教員(数学だったかな?)、音楽は趣味の範疇。今は南米の歴史に夢中らしい。
そのお話を聞きながら、
「音楽を本線とした人生を歩んでいなくても、80歳になって、自分の好きな音楽について一言語れる」
ようになるためには、どうすればいいのか、ということを考えた。
そして、そのためには、どのような授業たればいいのか。
もちろん、そのために授業なんて微々たる力でしかない。
でも、せめて種を蒔きたいまきたい(たとえ芽が出なくても)。
ではどう蒔くか。
岡田暁生氏が、『音楽の聴き方』の中で、
「音楽の営為が「すること」「聴くこと」「語ること」のトライアングルからなる」
と述べている。
つまり、「しかた」「聴き方」「語り方」を意識しなければならない。
「しかた」はまだしも、「聴き方」「語り方」を、あるいは「聴き型」「語り型」を授業することは、まだまだ研究の余地があるだろう。
何よりも80歳の大先輩は、自分なりの論をもっていたことに感銘を受けた。
音楽について語り合うことはやっぱり楽しい。
その基礎を多くの子どもたちに身に付けることができるような授業ができる人間になりたい。
80歳の大先輩が、シベリウスやベートーヴェン、モーツアルトについて熱く語っていた。
確か本業(?)は高校の教員(数学だったかな?)、音楽は趣味の範疇。今は南米の歴史に夢中らしい。
そのお話を聞きながら、
「音楽を本線とした人生を歩んでいなくても、80歳になって、自分の好きな音楽について一言語れる」
ようになるためには、どうすればいいのか、ということを考えた。
そして、そのためには、どのような授業たればいいのか。
もちろん、そのために授業なんて微々たる力でしかない。
でも、せめて種を蒔きたいまきたい(たとえ芽が出なくても)。
ではどう蒔くか。
岡田暁生氏が、『音楽の聴き方』の中で、
「音楽の営為が「すること」「聴くこと」「語ること」のトライアングルからなる」
と述べている。
つまり、「しかた」「聴き方」「語り方」を意識しなければならない。
「しかた」はまだしも、「聴き方」「語り方」を、あるいは「聴き型」「語り型」を授業することは、まだまだ研究の余地があるだろう。
何よりも80歳の大先輩は、自分なりの論をもっていたことに感銘を受けた。
音楽について語り合うことはやっぱり楽しい。
その基礎を多くの子どもたちに身に付けることができるような授業ができる人間になりたい。
2009年9月27日日曜日
考えたこと
いつもお世話になっている中学校に行って、少々雑談をしていた。
その中で、
「今年全学級に配置される予定だった電子黒板の導入が見送られた」
という話が出た。
政権交代の余波がここにも!
でも…それでいいの?
TOSS音楽だって、音鑑だって、実践学会だって、最先端の実践は当たり前のように電子黒板使っている。僕は大学院の先生の何人かに、ぜひ大学で購入して模擬授業などでどんどん利用していく必要があると進言したことがある。正直、自分は不得手なので、現場に戻る時には使いこなせていないとまずいと感じている。
電子黒板は、21世紀型学力を授業で身に付けるための必須アイテムなはずだ。全学級に導入することになっていたはずだ。
しかも、前任校は昨年度導入が済んでいる。導入の予定がずれた学校が見送られるなんてことがあっていいの?
もし、これで導入がされなかったら、この方向での鑑賞授業の発展は止まるだろう。
もしない学校に行ったら…個人で購入しろってことかなぁ…。
それでも国がお金を使わないことが最優先事項になるんだなぁ…。
まぁ、それも仕方ないことなのか。
論文が進まない現実逃避にくだらないことを考えてみた。
その中で、
「今年全学級に配置される予定だった電子黒板の導入が見送られた」
という話が出た。
政権交代の余波がここにも!
でも…それでいいの?
TOSS音楽だって、音鑑だって、実践学会だって、最先端の実践は当たり前のように電子黒板使っている。僕は大学院の先生の何人かに、ぜひ大学で購入して模擬授業などでどんどん利用していく必要があると進言したことがある。正直、自分は不得手なので、現場に戻る時には使いこなせていないとまずいと感じている。
電子黒板は、21世紀型学力を授業で身に付けるための必須アイテムなはずだ。全学級に導入することになっていたはずだ。
しかも、前任校は昨年度導入が済んでいる。導入の予定がずれた学校が見送られるなんてことがあっていいの?
もし、これで導入がされなかったら、この方向での鑑賞授業の発展は止まるだろう。
もしない学校に行ったら…個人で購入しろってことかなぁ…。
それでも国がお金を使わないことが最優先事項になるんだなぁ…。
まぁ、それも仕方ないことなのか。
論文が進まない現実逃避にくだらないことを考えてみた。
2009年9月26日土曜日
こだわり
今月、個人的に大変興味深い本が出版された。
川上弘宜 『「比べ読み・重ね読み」で「一人読み」』 明治図書 2009年9月
これは小学校国語の実践だ。すばらしいと思う。
(川上先生の修士論文もざっと読ませていただいた)
そう。
「比べ聴き・重ね聴き」で「一人聴き」
ができるような実践ができないか、と思ったわけ。
それこそ、鑑賞者を主体にし、自分をくぐらせ、情報化し、自分なりの聴き方ができるようになる有効な具体的手立てになるのではないか。
(音楽科であまり似たような実践が多くないのはきっと時数の問題だろう)
ひょっとしたら、「ギャラリートーク」よりも中学生向け対話型音楽鑑賞授業に向いているかもしれない。
実践そのものも魅力的だが、もっと印象に残ったのは「あとがき」だ。
「「比べ読み・重ね読み」の実践を初めてかれこれ12年になる。その間、雑誌原稿を書かせていただく時、研究授業をさせていただける時、模擬授業をさせていただける時、ことあるごとにこのテーマにつなげて考えてきた。「子どもに読書習慣を身に付けるには?」「到達度評価の観点をもって物語文を指導するには?」「ノート指導の在り方は?」私のどれに対する答えも「比べ読み・重ね読み」。何とかの一つ覚えのようである。
「比べ読み・重ね読み」に、なぜこんなにもこだわってきたのか。それは、この方法で授業すれば良い授業ができる、という実感である。大人も考えつかないような批評を言う子どもの姿が見られるから、といっても良い。
私は「良い授業がしたい」とかんがえていると、いつも「比べて」発問していた。それは討論を生む。一度授業で討論が成立したことのある方なら実感があると思うが、その充実感は「やみつき」になる。授業で学級経営している、という実感も湧いてくる。もう一度その快感を味わいたくなる。「くせになる」のである。」
このこだわりがすごい。こだわれることがすごい。
こだわれる人になりたい。こだわれる方法を開発したい。
川上弘宜 『「比べ読み・重ね読み」で「一人読み」』 明治図書 2009年9月
これは小学校国語の実践だ。すばらしいと思う。
(川上先生の修士論文もざっと読ませていただいた)
そう。
「比べ聴き・重ね聴き」で「一人聴き」
ができるような実践ができないか、と思ったわけ。
それこそ、鑑賞者を主体にし、自分をくぐらせ、情報化し、自分なりの聴き方ができるようになる有効な具体的手立てになるのではないか。
(音楽科であまり似たような実践が多くないのはきっと時数の問題だろう)
ひょっとしたら、「ギャラリートーク」よりも中学生向け対話型音楽鑑賞授業に向いているかもしれない。
実践そのものも魅力的だが、もっと印象に残ったのは「あとがき」だ。
「「比べ読み・重ね読み」の実践を初めてかれこれ12年になる。その間、雑誌原稿を書かせていただく時、研究授業をさせていただける時、模擬授業をさせていただける時、ことあるごとにこのテーマにつなげて考えてきた。「子どもに読書習慣を身に付けるには?」「到達度評価の観点をもって物語文を指導するには?」「ノート指導の在り方は?」私のどれに対する答えも「比べ読み・重ね読み」。何とかの一つ覚えのようである。
「比べ読み・重ね読み」に、なぜこんなにもこだわってきたのか。それは、この方法で授業すれば良い授業ができる、という実感である。大人も考えつかないような批評を言う子どもの姿が見られるから、といっても良い。
私は「良い授業がしたい」とかんがえていると、いつも「比べて」発問していた。それは討論を生む。一度授業で討論が成立したことのある方なら実感があると思うが、その充実感は「やみつき」になる。授業で学級経営している、という実感も湧いてくる。もう一度その快感を味わいたくなる。「くせになる」のである。」
このこだわりがすごい。こだわれることがすごい。
こだわれる人になりたい。こだわれる方法を開発したい。
2009年9月25日金曜日
「情報化」と「情報処理」~僕の授業は…?
養老孟司・久石譲 『耳で考える』 角川oneテーマ21 2009年9月
養老先生が次のように述べている。
「今は「情報」という言葉があまりにも普通に使われていているから皆さんピンと来ないかもしれないけど、自分が見ている世界を言葉にする時、それ一つだけをよく見れば書けるというものではないんです。それを書くためには、他のことをたくさん、しかもよくわかっていないと、的確に表現することはできない。
これに対して、あの人はこう言っている、この人はこう言っている、これとこれとは理屈でいえば矛盾しているだろうとか、あそこにはこう書いてあったとか、そういう他の人の言っていることや書いていることを上手に整理してまとめていくのは「情報処理」なんです。
ものを書く、ものをつくるとは、情報化すること。「情報化の作業」と「情報処理の作業」は全く違うんですよ。」
ドキッとした。
僕のやっている鑑賞授業は、「情報処理の作業」ではないか。
もちろん、本当は「情報化の作業」でありたい。
「生徒が批評文が書けない」理由がはっきり分ったような気がする。
(ただ、そのための手立てにとっても時間をかけたい、でもできない、というジレンマが生まれる)
齋藤孝先生も、「情報を自分にくぐらせる」という表現を使っていたが、それが「情報化の作業」と言えるのではないか。
聴いた楽曲について、「情報化の作業」をすることができる生徒。
それは、具体的に何ができる生徒なのか。そのために必要な能力は何か。どんな授業(活動)が有効か。
そして。
自分の論文はちゃんと「情報化」しているか? 単なる「情報処理」になっていないか?
これが一番の問題かもしれない…。
養老先生が次のように述べている。
「今は「情報」という言葉があまりにも普通に使われていているから皆さんピンと来ないかもしれないけど、自分が見ている世界を言葉にする時、それ一つだけをよく見れば書けるというものではないんです。それを書くためには、他のことをたくさん、しかもよくわかっていないと、的確に表現することはできない。
これに対して、あの人はこう言っている、この人はこう言っている、これとこれとは理屈でいえば矛盾しているだろうとか、あそこにはこう書いてあったとか、そういう他の人の言っていることや書いていることを上手に整理してまとめていくのは「情報処理」なんです。
ものを書く、ものをつくるとは、情報化すること。「情報化の作業」と「情報処理の作業」は全く違うんですよ。」
ドキッとした。
僕のやっている鑑賞授業は、「情報処理の作業」ではないか。
もちろん、本当は「情報化の作業」でありたい。
「生徒が批評文が書けない」理由がはっきり分ったような気がする。
(ただ、そのための手立てにとっても時間をかけたい、でもできない、というジレンマが生まれる)
齋藤孝先生も、「情報を自分にくぐらせる」という表現を使っていたが、それが「情報化の作業」と言えるのではないか。
聴いた楽曲について、「情報化の作業」をすることができる生徒。
それは、具体的に何ができる生徒なのか。そのために必要な能力は何か。どんな授業(活動)が有効か。
そして。
自分の論文はちゃんと「情報化」しているか? 単なる「情報処理」になっていないか?
これが一番の問題かもしれない…。
2009年9月24日木曜日
鑑賞を「教える」スタイルとは?
教師とし・合唱人としての大先輩が言った。
「あの高校野球の監督達が、みんな選手を『子どもたち』と呼ぶことに違和感がある」
高校生といえばもう立派な人間だ。人様のお子さんを預かっておきながら、その言い方は上から目線なのではないか、とのことである。
まぁ、それが正しいかどうかおいておいて。
「あなたはどうかね?」
と聞かれた時に考えてしまった。
お恥ずかしながら…自分が余裕がない時に、生徒に対して自分が上に立とうとする意識が働くような気がする。そしてそれが多いような気がする。
逆に、生徒と対等に物事をがんばれた時、自分が余裕をもって生徒と接する時、そんな意識はない。そしてそれはとっても少ないような気がする。
つまり勉強が足りないのである。
鑑賞の授業において、鑑賞者と共にある、ということはどういうことか。
教師と生徒が対等の立場で楽曲について、音楽について語り合える…そんな授業、できるかなぁ。
もっと難しいのは、授業だけそうでも、生徒は信頼してくれないだろう。
どんな教育活動でもそういうスタイルでいないと…それがまた授業に反映されるのだから(それは違う意味でいやというほど実感してきた)。
「あの高校野球の監督達が、みんな選手を『子どもたち』と呼ぶことに違和感がある」
高校生といえばもう立派な人間だ。人様のお子さんを預かっておきながら、その言い方は上から目線なのではないか、とのことである。
まぁ、それが正しいかどうかおいておいて。
「あなたはどうかね?」
と聞かれた時に考えてしまった。
お恥ずかしながら…自分が余裕がない時に、生徒に対して自分が上に立とうとする意識が働くような気がする。そしてそれが多いような気がする。
逆に、生徒と対等に物事をがんばれた時、自分が余裕をもって生徒と接する時、そんな意識はない。そしてそれはとっても少ないような気がする。
つまり勉強が足りないのである。
鑑賞の授業において、鑑賞者と共にある、ということはどういうことか。
教師と生徒が対等の立場で楽曲について、音楽について語り合える…そんな授業、できるかなぁ。
もっと難しいのは、授業だけそうでも、生徒は信頼してくれないだろう。
どんな教育活動でもそういうスタイルでいないと…それがまた授業に反映されるのだから(それは違う意味でいやというほど実感してきた)。
2009年9月19日土曜日
Happyな鑑賞
3日間、指揮法の集中講義を受講した。
徹底してプレイヤーを尊重する講師先生のスタンスに感動した。
自分もそうありたいと思っていたけど、まだまだ甘いなと思った。
徹底して生徒を尊重する授業になっているかなぁ。
そして。
徹底して「鑑賞者」を尊重する鑑賞授業(活動)ってなんだろう?
どうしても自分の思いの方がですぎてしまう合唱の指揮(指導)は自分でも認識できるようになってきたけど(でもまだ修正するまでできないけど)、自分の思いの方がですぎてしまう鑑賞授業を自分でも認識できるだろうか、それをどう修正すればよいのだろうか?
だいたい鑑賞者は、どういう状態になれば「Happyな鑑賞ができた」と思うのだろうか?
今週はいろいろな刺激が、1つのことを僕に考えさせようとしている感じがする…。
徹底してプレイヤーを尊重する講師先生のスタンスに感動した。
自分もそうありたいと思っていたけど、まだまだ甘いなと思った。
徹底して生徒を尊重する授業になっているかなぁ。
そして。
徹底して「鑑賞者」を尊重する鑑賞授業(活動)ってなんだろう?
どうしても自分の思いの方がですぎてしまう合唱の指揮(指導)は自分でも認識できるようになってきたけど(でもまだ修正するまでできないけど)、自分の思いの方がですぎてしまう鑑賞授業を自分でも認識できるだろうか、それをどう修正すればよいのだろうか?
だいたい鑑賞者は、どういう状態になれば「Happyな鑑賞ができた」と思うのだろうか?
今週はいろいろな刺激が、1つのことを僕に考えさせようとしている感じがする…。
2009年9月17日木曜日
新 授業の原理・原則
教室ツーウエイ10月号が届いた。
今月の特集は、「新 授業の原理・原則」。
1 1時間の授業に安定した流れがある
2 発問指示は何度繰り返しても同じ言葉で言える
3 作業指示・活動指示が明確である
4 説明がシンプルであり言葉が極めて短い
5 個別評定があり多くの子を褒めている
6 きれいでていねいなノートを全員が書いている
7 授業の流れが骨太であり脱線をしない
8 変化のある繰り返しで全員を習得させている
9 授業時間がのびない
10 いつも笑顔で子どもをどならない
いや~、6月の授業実践の前に読みたかった(最近情報に疎い?)。
もちろん、全部できる自信もないけれど。
新採用の頃、「授業の腕を上げる法則」に救われた。
やっと10か条そらんじて全部言えるようになった(できるようにはなっていない)ところで、この10か条。
現場復帰に向けての勉強も意識していかないとなぁ…。
今月の特集は、「新 授業の原理・原則」。
1 1時間の授業に安定した流れがある
2 発問指示は何度繰り返しても同じ言葉で言える
3 作業指示・活動指示が明確である
4 説明がシンプルであり言葉が極めて短い
5 個別評定があり多くの子を褒めている
6 きれいでていねいなノートを全員が書いている
7 授業の流れが骨太であり脱線をしない
8 変化のある繰り返しで全員を習得させている
9 授業時間がのびない
10 いつも笑顔で子どもをどならない
いや~、6月の授業実践の前に読みたかった(最近情報に疎い?)。
もちろん、全部できる自信もないけれど。
新採用の頃、「授業の腕を上げる法則」に救われた。
やっと10か条そらんじて全部言えるようになった(できるようにはなっていない)ところで、この10か条。
現場復帰に向けての勉強も意識していかないとなぁ…。
2009年9月16日水曜日
自分をくぐらせる
齋藤孝著『「読む・書く・話す」を一瞬でモノにする技術』を読んだ。
(「読む・書く・話す」ってPISA型を意識しているのかなぁ)
その中で「自分をくぐらせる」というフレーズが印象に残った。
「自分をくぐらせるとは、自分の暗黙知にいったん深く浸すような感覚をいう。暗黙知とは(中略)自分だけの世界といえる。「これ!」という情報に出会ったならば、その情報を一度、自分の世界に浸すようなイメージ。(中略)ぜひ、“くぐらせる”感覚をつかんでほしい。情報に出会ったとき、一度、自分をくぐらせておくと、その情報が自分のものになった、という感覚が生まれやすくなる。」
昨日、「内なる音をどう聴くか」という問題意識をしたばかりなので…。
つまり、鑑賞の授業で、生徒が「自分の世界」に聴いた音楽をくぐらせ、その結果生徒の「自分の世界」がどのように変容したかを知る。「自分の世界」をくぐらせた結果、どのように情報を処理したか(つまり批評)を知る。
また、生徒が「自分の世界」について自ら意識して鑑賞できるようにする。
それが、生徒の「内なる音」をどう聴くか、のヒントになるのだと思う。
もちろん、今までも、生徒自身に自分をくぐらせるよう聴いてほしいと何となく願って授業していたように思う。(ただ、その手立てはあまりにも脆弱なものだった)
どう具体的な手立てを講じるか、をこれから考えていきたい。
さて。自分はちゃんと情報を自分にくぐらせているかなぁ。それを「ワザ化」しているかなぁ。
本に触発されて、昨日買ってすぐ読んで、すぐくぐらせてアウトプットしたつもりなんだけど(笑)
(「読む・書く・話す」ってPISA型を意識しているのかなぁ)
その中で「自分をくぐらせる」というフレーズが印象に残った。
「自分をくぐらせるとは、自分の暗黙知にいったん深く浸すような感覚をいう。暗黙知とは(中略)自分だけの世界といえる。「これ!」という情報に出会ったならば、その情報を一度、自分の世界に浸すようなイメージ。(中略)ぜひ、“くぐらせる”感覚をつかんでほしい。情報に出会ったとき、一度、自分をくぐらせておくと、その情報が自分のものになった、という感覚が生まれやすくなる。」
昨日、「内なる音をどう聴くか」という問題意識をしたばかりなので…。
つまり、鑑賞の授業で、生徒が「自分の世界」に聴いた音楽をくぐらせ、その結果生徒の「自分の世界」がどのように変容したかを知る。「自分の世界」をくぐらせた結果、どのように情報を処理したか(つまり批評)を知る。
また、生徒が「自分の世界」について自ら意識して鑑賞できるようにする。
それが、生徒の「内なる音」をどう聴くか、のヒントになるのだと思う。
もちろん、今までも、生徒自身に自分をくぐらせるよう聴いてほしいと何となく願って授業していたように思う。(ただ、その手立てはあまりにも脆弱なものだった)
どう具体的な手立てを講じるか、をこれから考えていきたい。
さて。自分はちゃんと情報を自分にくぐらせているかなぁ。それを「ワザ化」しているかなぁ。
本に触発されて、昨日買ってすぐ読んで、すぐくぐらせてアウトプットしたつもりなんだけど(笑)
2009年9月15日火曜日
生徒の内に鳴っている音を理解する
富澤裕先生の合唱指導を参観した。
確証はないが、「この人は、その場になっている音というよりも、生徒の内に鳴っている音を聴いて評価している」ように思えた。
当然、今の僕にはそれができる由もないが、音楽教師ってそうあるべきではないだろうか、参観しながら思った。
そして。
鑑賞指導も同じなのだ、と思った。
「生徒の内にどう鳴ったかを共有して評価する」
難しい。抽象的すぎる。具体策が思い浮かばない。つまり現実的でない。
でも、音楽教師ってそうあるべきなんじゃないか。
でも、内なる思いを知るのは音楽に限ったことではない。
例えば、向山洋一先生は確か、
「生徒理解とは、子どもが自分自身をどう思っているかを、教師が知ることである」
とどこかで述べていた。
この感覚に近い。
それを研究するって…無謀だったなぁ…。
確証はないが、「この人は、その場になっている音というよりも、生徒の内に鳴っている音を聴いて評価している」ように思えた。
当然、今の僕にはそれができる由もないが、音楽教師ってそうあるべきではないだろうか、参観しながら思った。
そして。
鑑賞指導も同じなのだ、と思った。
「生徒の内にどう鳴ったかを共有して評価する」
難しい。抽象的すぎる。具体策が思い浮かばない。つまり現実的でない。
でも、音楽教師ってそうあるべきなんじゃないか。
でも、内なる思いを知るのは音楽に限ったことではない。
例えば、向山洋一先生は確か、
「生徒理解とは、子どもが自分自身をどう思っているかを、教師が知ることである」
とどこかで述べていた。
この感覚に近い。
それを研究するって…無謀だったなぁ…。
2009年9月14日月曜日
教材と向き合う(時もある)
今週、集中講義で指揮法がある。
テキストは「ブルタバ」(スメタナ)。
ちょっと調べ物をしたら、お恥ずかしながら知らないことが結構あった。
実は最近思うところがあって「魔王」(シューベルト)を練習している。
お恥ずかしながら、「へえ~」と思うところが結構あった。
10年間、この教材で鑑賞の授業をしてきたので、思うところがたくさんある。
せっかくの機会なので、じっくり取り組んで、授業化する際に生かせるようにしたい。
テキストは「ブルタバ」(スメタナ)。
ちょっと調べ物をしたら、お恥ずかしながら知らないことが結構あった。
実は最近思うところがあって「魔王」(シューベルト)を練習している。
お恥ずかしながら、「へえ~」と思うところが結構あった。
10年間、この教材で鑑賞の授業をしてきたので、思うところがたくさんある。
せっかくの機会なので、じっくり取り組んで、授業化する際に生かせるようにしたい。
2009年9月13日日曜日
文学作品の鑑賞指導と音楽の鑑賞指導はどう違う?
長野藤夫先生が、修士論文で「俳句鑑賞指導」について研究されたことをまとめられている。
その中で、先行研究から、文学作品における鑑賞を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していくこと」
と定義し、その上で鑑賞指導を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していく技術・方法の指導」
としている。
こういうふうにすっきりとした論を立てたいのだが…大変参考になるので時折長野先生の修士論文を読み返している。
では、音楽鑑賞とは何か? 音楽鑑賞指導とは何か?
これをすっきりと言い表している(それで納得できる)のになかなか出合えないのは、やはり自分の調査不足?
「すっきり表そうとすること自体が音楽の本質と違和感がある」という不文律が音楽教育界にあると感じるのはやはり自分の偏見?
…失礼しました。
他教科(美術とか)の比較も視野に入れつつ考えていきたい。
その中で、先行研究から、文学作品における鑑賞を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していくこと」
と定義し、その上で鑑賞指導を、
「厳密な読みの上に立って作品から多くの魅力を感得し、新しい意味を次々に発見しつづけ、それを言語化していく技術・方法の指導」
としている。
こういうふうにすっきりとした論を立てたいのだが…大変参考になるので時折長野先生の修士論文を読み返している。
では、音楽鑑賞とは何か? 音楽鑑賞指導とは何か?
これをすっきりと言い表している(それで納得できる)のになかなか出合えないのは、やはり自分の調査不足?
「すっきり表そうとすること自体が音楽の本質と違和感がある」という不文律が音楽教育界にあると感じるのはやはり自分の偏見?
…失礼しました。
他教科(美術とか)の比較も視野に入れつつ考えていきたい。
2009年9月12日土曜日
自主ゼミメモ
夏休み5回目。
僕はとりあえず第1章第1節を書き上げ、読み合わせた。
1度序論を作成した時、「これは引用集か?」みたいな感じになり、自分の言葉で書き直すつもりで第2版を書いた。
それと同じで、現時点ではどうも納得いかないので、やっぱり同じように書き直す必要があるだろう。
まぁ、それはまた今度ということで、夏休み中はとりあえず先に進んでみたい。
次回は第2節をもっていく予定。
お相手は、授業が佳境。
具体的な授業の話は、楽しい。刺激になる。
今週は3時間、来週も1時間参観する予定。
僕ももう1度授業を構想して実践してみたいと思うが…。
論文に生かすにはもう厳しいけど…。
理論の話ばっかりしていると授業したくなるけど、実際するとなるとまたいろいろ大変だろうし。
バランスよく思考しながら論文執筆を進めていきたい。
僕はとりあえず第1章第1節を書き上げ、読み合わせた。
1度序論を作成した時、「これは引用集か?」みたいな感じになり、自分の言葉で書き直すつもりで第2版を書いた。
それと同じで、現時点ではどうも納得いかないので、やっぱり同じように書き直す必要があるだろう。
まぁ、それはまた今度ということで、夏休み中はとりあえず先に進んでみたい。
次回は第2節をもっていく予定。
お相手は、授業が佳境。
具体的な授業の話は、楽しい。刺激になる。
今週は3時間、来週も1時間参観する予定。
僕ももう1度授業を構想して実践してみたいと思うが…。
論文に生かすにはもう厳しいけど…。
理論の話ばっかりしていると授業したくなるけど、実際するとなるとまたいろいろ大変だろうし。
バランスよく思考しながら論文執筆を進めていきたい。
2009年9月11日金曜日
1人で考えることの限界と仲間からの発言のありがたさ
先日、後輩から、先日のブログを読んだとのことでメールをいただいた。無断で掲載する。
(この人は教育とは全く関係のない仕事をしている、合唱仲間です)
「自分の好きな音が見つからなかった~って子はすごいなぁって思いました。きっとその子の中には表現できないすてきな音があって、それに匹敵する実世界の音を見つけられなかったんだろうなって勝手に。私だったら何聞いても同じに聞こえる気がするし、まあこんなとこかなあと簡単に妥協するだろうから。昔、Y先輩が新聞のインタビューに答えていたのを横で聞いていたとき、作曲を始めたのは自分が聞きたい音楽がなかったから、じゃあ自分で作ろうと思ったからみたいなことを言われていたのを思い出しました。音が見つけられなかったといった子が将来すごい人になったりして…」
こういう何気ない発言から大切なことを学べる。
発信するって恥ずかしいけど大切だな。リアクションが自分の発信以上の思考の材料になる。
この発言から、やっぱり安易に好きな音探しや好きな音楽について語るという学習目標を授業で設定しない方がいいことを強く思った。(特に新潟人・上越人は。メールをくれた後輩も上越人)
メールいただき、ありがとうございました。
また今後ともよろしくお願いいたします。
(この人は教育とは全く関係のない仕事をしている、合唱仲間です)
「自分の好きな音が見つからなかった~って子はすごいなぁって思いました。きっとその子の中には表現できないすてきな音があって、それに匹敵する実世界の音を見つけられなかったんだろうなって勝手に。私だったら何聞いても同じに聞こえる気がするし、まあこんなとこかなあと簡単に妥協するだろうから。昔、Y先輩が新聞のインタビューに答えていたのを横で聞いていたとき、作曲を始めたのは自分が聞きたい音楽がなかったから、じゃあ自分で作ろうと思ったからみたいなことを言われていたのを思い出しました。音が見つけられなかったといった子が将来すごい人になったりして…」
こういう何気ない発言から大切なことを学べる。
発信するって恥ずかしいけど大切だな。リアクションが自分の発信以上の思考の材料になる。
この発言から、やっぱり安易に好きな音探しや好きな音楽について語るという学習目標を授業で設定しない方がいいことを強く思った。(特に新潟人・上越人は。メールをくれた後輩も上越人)
メールいただき、ありがとうございました。
また今後ともよろしくお願いいたします。
2009年9月10日木曜日
研修会にて 2
小林先生の講演の中で、一番印象に残ったのは、
「教育で新幹線を迎えうつ!」
というフレーズだ。
そんなこと、全く考えてなかった。
ご存知の通り、数年後、上越にも新幹線が通る。
その時までに、教育の力で地元の文化を盛り上げていたい、とのことだった。
小林先生は教育長を退かれたあとも、1人でそのための動きを模索していらっしゃるらしい。
いたく感激した。
上越の音楽文化を育てようとしてる実践者として、
上越の合唱文化を活性化させようとしている実践者として、
自分は何をどのようにすればいいのか?
もっと時代を意識した大きなヴィジョンを持ちたいものだ。
そしてそれを具現化する実践を作り上げたいものだ。
新幹線を迎えうつためには何が必要か? それはなぜか?
迎えうつべき上越らしい音楽文化(合唱文化)とは何か? それはなぜか?
目指す文化を具現化する実践とは何か? それはなぜか?
そのために、今、今後、未来に何をすべきか?
論文執筆の現実逃避の際、時折考えていこうと思う。
「教育で新幹線を迎えうつ!」
というフレーズだ。
そんなこと、全く考えてなかった。
ご存知の通り、数年後、上越にも新幹線が通る。
その時までに、教育の力で地元の文化を盛り上げていたい、とのことだった。
小林先生は教育長を退かれたあとも、1人でそのための動きを模索していらっしゃるらしい。
いたく感激した。
上越の音楽文化を育てようとしてる実践者として、
上越の合唱文化を活性化させようとしている実践者として、
自分は何をどのようにすればいいのか?
もっと時代を意識した大きなヴィジョンを持ちたいものだ。
そしてそれを具現化する実践を作り上げたいものだ。
新幹線を迎えうつためには何が必要か? それはなぜか?
迎えうつべき上越らしい音楽文化(合唱文化)とは何か? それはなぜか?
目指す文化を具現化する実践とは何か? それはなぜか?
そのために、今、今後、未来に何をすべきか?
論文執筆の現実逃避の際、時折考えていこうと思う。
2009年9月9日水曜日
研修会にて
小林毅夫先生(前上越市教育長)の講演を聞く。
テーマが「鼻の穴のふくらみに、また明日の実践を夢みる」。
なんじゃそりゃ?
話を聞いていて、なるほど~と思った。
子どもは、物事に意欲的になる時、鼻の穴がふくらむのだという。
そんなこと気付かなかった。
小林先生は、子どもの鼻の穴がふくらむかどうかが、実践の手応えの基準だったのだ。
こういう具体的でミクロでプロらしい視点、大好きである。
話を聞いて思い出した。
確か向山洋一先生は、「子どもは発言したい時、かすかに小指が動く」と書いていた。
これも、気付けたことはない。
プロは、眼力が違う。
音楽教育における「鼻の穴がふくらむ状態」はどういうものだろうか。
松下耕先生が、「いろいろ国際コンクールに出場して気付いたことは、どの国でも世界のトップクラスの合唱団は口がよく開いているということ」とおっしゃていた。
合唱の授業で、自然に口がよく開いて、体を揺らして歌っている生徒、これが理想だ。
(もちろん、なかなか難しいことだが)
では、鑑賞の授業ではどうだろうか。
「先生、もう1回聴こう」って声が上がることかなぁ…もっとずっしりと手応えのあるイメージを、想像できない…こういう時、自分はまだまだダメだなぁと思う。
小林先生は、あえて、テーマに主語を設定しなかった。
「教師が子どもの鼻の穴を」とも言えるし、「管理職が教師の」とも言えるし「旦那が奥さんの」とも言える…なるほど~
とりあえず、論文書きながらでも「先生。もう1回聴こう」という生徒の声を聞こうとするつもりでいたいものだ。
テーマが「鼻の穴のふくらみに、また明日の実践を夢みる」。
なんじゃそりゃ?
話を聞いていて、なるほど~と思った。
子どもは、物事に意欲的になる時、鼻の穴がふくらむのだという。
そんなこと気付かなかった。
小林先生は、子どもの鼻の穴がふくらむかどうかが、実践の手応えの基準だったのだ。
こういう具体的でミクロでプロらしい視点、大好きである。
話を聞いて思い出した。
確か向山洋一先生は、「子どもは発言したい時、かすかに小指が動く」と書いていた。
これも、気付けたことはない。
プロは、眼力が違う。
音楽教育における「鼻の穴がふくらむ状態」はどういうものだろうか。
松下耕先生が、「いろいろ国際コンクールに出場して気付いたことは、どの国でも世界のトップクラスの合唱団は口がよく開いているということ」とおっしゃていた。
合唱の授業で、自然に口がよく開いて、体を揺らして歌っている生徒、これが理想だ。
(もちろん、なかなか難しいことだが)
では、鑑賞の授業ではどうだろうか。
「先生、もう1回聴こう」って声が上がることかなぁ…もっとずっしりと手応えのあるイメージを、想像できない…こういう時、自分はまだまだダメだなぁと思う。
小林先生は、あえて、テーマに主語を設定しなかった。
「教師が子どもの鼻の穴を」とも言えるし、「管理職が教師の」とも言えるし「旦那が奥さんの」とも言える…なるほど~
とりあえず、論文書きながらでも「先生。もう1回聴こう」という生徒の声を聞こうとするつもりでいたいものだ。
2009年9月8日火曜日
学級通信
先日、5代目の学級の生徒数人と飲んだ。
「あの時のお前、おっかしかったよな~」
「先生、それ学級通信で書いたでしょ、それで余計恥ずかしかったよ」
あれ? 読まずに捨てられてると思ったけど…他にも「先生、ちゃんととってありますよ!」って奴がいた。
先日、前任校の体育祭で7代目の学級の保護者の方にあいさつされた。
「今、高校3年生です。必死に勉強しています。先生の学級通信で精神の方を鍛えています」
ひょえ~そんなたいそうなこと書いたっけかなぁ?
でも、結構嬉しかったです。
ひょっとして、書いてきた学級通信を一番大事にしていないのは僕かもしれない。
9年間で1000枚以上書いてきた。
駄作のオンパレードだと思うけど。
でも、自分の勉強のためにもう1度読み返してみよう。
優秀作(?)をこのブログに再褐しようかな。
もちろん、「100%引用」の記事はダメだけど。
学級通信を書かなくなって2年。
書かないときに反響を感じるなんて…でも世の中そんなもんなのかな。
読んでくださった皆さん。
覚えてくださってる皆さん。
まだとっておいてくださってる皆さん。
本当にありがとうございます!
「あの時のお前、おっかしかったよな~」
「先生、それ学級通信で書いたでしょ、それで余計恥ずかしかったよ」
あれ? 読まずに捨てられてると思ったけど…他にも「先生、ちゃんととってありますよ!」って奴がいた。
先日、前任校の体育祭で7代目の学級の保護者の方にあいさつされた。
「今、高校3年生です。必死に勉強しています。先生の学級通信で精神の方を鍛えています」
ひょえ~そんなたいそうなこと書いたっけかなぁ?
でも、結構嬉しかったです。
ひょっとして、書いてきた学級通信を一番大事にしていないのは僕かもしれない。
9年間で1000枚以上書いてきた。
駄作のオンパレードだと思うけど。
でも、自分の勉強のためにもう1度読み返してみよう。
優秀作(?)をこのブログに再褐しようかな。
もちろん、「100%引用」の記事はダメだけど。
学級通信を書かなくなって2年。
書かないときに反響を感じるなんて…でも世の中そんなもんなのかな。
読んでくださった皆さん。
覚えてくださってる皆さん。
まだとっておいてくださってる皆さん。
本当にありがとうございます!
2009年9月7日月曜日
自分の好きな音や音楽を探すことを本当に子どもは好きなのか?
小学校3・4年の複式学級で音楽づくりの授業を参観。
8時間扱いの題材の1時間目。
「自分のとっておきの音を探そう」ということで、いろんな楽器でいろんな鳴らし方を試しながら、自分の好きな音を見つけて、「何をどんな風に鳴らしたか」クイズを出し合おう、というわけ。
みんな楽しそうに活動していたと思うのだが、何人かの児童が、「見つけられなかった~」と言っていた。
「お気に入りの音を見つけられなかったら、この授業って…?」
これは、題材全体の導入にあたるわけで、この後の時間やメインの活動で、目標が達成されればいいので、ここでは試行錯誤の経験ができたこと大きいし、それはそれで意味があるだろう。
でも、児童にとっては、「授業の目標を達成できなかった…」という思いを抱いてしまうのではないか、という危惧がある。
かといって、それぞれの活動の目標をすべて確実に達成されるようにもっていくと、無理が生じることもあるだろうし…難しいところだ。
「自分の好きな音を見つける課題って、難しい…?」
自分の好きな音を見つける、というのは果たして授業の目標たりえるのか、と思ってしまった。
別に授業でやる必要がないともいえる。
また、自分の好きな音を見つけることが、すべての子どもが好きであるとはいえない。むしろ、確率的に好きでない方が多いかもしれない。
「自分の好きな音を探す」ということは、授業の意欲づけにはならないのではないか、という疑問がわいてきた。
「自分の好きな音は何か分析する方法を身につけ、ふだんの生活でそれを生かして探してもらう」というスタンスの方が自然かもしれない。
何か、第三者を意識したミッションを与えた方が、「授業」の中で、意欲を高めて活動ができるような気がするのである。
もちろん、「自分の好きな音を探すことがみんな好き」で、与えられた課題の中でそれをちゃんと探せることができ子どもを育てるのが一番いいとは思う。
ただ、それは高次目標になるのではないか。
では、批評文を書く行為にあたってはどうあるべきか?
これから考えていきたい。
8時間扱いの題材の1時間目。
「自分のとっておきの音を探そう」ということで、いろんな楽器でいろんな鳴らし方を試しながら、自分の好きな音を見つけて、「何をどんな風に鳴らしたか」クイズを出し合おう、というわけ。
みんな楽しそうに活動していたと思うのだが、何人かの児童が、「見つけられなかった~」と言っていた。
「お気に入りの音を見つけられなかったら、この授業って…?」
これは、題材全体の導入にあたるわけで、この後の時間やメインの活動で、目標が達成されればいいので、ここでは試行錯誤の経験ができたこと大きいし、それはそれで意味があるだろう。
でも、児童にとっては、「授業の目標を達成できなかった…」という思いを抱いてしまうのではないか、という危惧がある。
かといって、それぞれの活動の目標をすべて確実に達成されるようにもっていくと、無理が生じることもあるだろうし…難しいところだ。
「自分の好きな音を見つける課題って、難しい…?」
自分の好きな音を見つける、というのは果たして授業の目標たりえるのか、と思ってしまった。
別に授業でやる必要がないともいえる。
また、自分の好きな音を見つけることが、すべての子どもが好きであるとはいえない。むしろ、確率的に好きでない方が多いかもしれない。
「自分の好きな音を探す」ということは、授業の意欲づけにはならないのではないか、という疑問がわいてきた。
「自分の好きな音は何か分析する方法を身につけ、ふだんの生活でそれを生かして探してもらう」というスタンスの方が自然かもしれない。
何か、第三者を意識したミッションを与えた方が、「授業」の中で、意欲を高めて活動ができるような気がするのである。
もちろん、「自分の好きな音を探すことがみんな好き」で、与えられた課題の中でそれをちゃんと探せることができ子どもを育てるのが一番いいとは思う。
ただ、それは高次目標になるのではないか。
では、批評文を書く行為にあたってはどうあるべきか?
これから考えていきたい。
2009年9月6日日曜日
「学習指導要領完全準拠」訪問演奏
悪友のN良君がやっている訪問演奏を久しぶりに見物に行く。
Vn6、Vl2、Vc2 Cb1 だったかな?
これにソプラノ歌手とピアニストが各1。
「ぽんぽこストリングス」というらしい。
上越市・大潟区主催の「メロディーの楽校」の一環で行われ、20人くらいの小学生が聴衆。
会場は大潟区コミュニティプラザ多目的ホール。
(すてきなホール。ここで演奏会をしてみたくなった)
プログラムは、
○アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク (モーツアルト)
○楽器紹介
○春 第1楽章 (ヴィヴァルディ)
○楽器体験
(休憩)
○演奏体験
・カルメン前奏曲に合わせてシンバルを叩く
・アンパンマンマーチを指揮する
○質問コーナー
○ソプラノ独唱(解説の寸劇付き)
・私のお父さん (プッチーニ)
○みんなで歌う
・夏は来ぬ
・Believe
○アンコール
・崖の上のポニョ
N良君の軽妙なトーク、息のあった演奏(プログラム運営?も)でとても楽しく、すてきな時間を過ごすことができた。
これはN良君がライフワークでやっている訪問演奏のほぼ基本形。
彼は「学習指導要領完全準拠訪問演奏だ」と言っていた。
なるほど、と思わされることがいくつか。それは今後また機会があったら書きたい。
N良君、ありがとうございました!
Vn6、Vl2、Vc2 Cb1 だったかな?
これにソプラノ歌手とピアニストが各1。
「ぽんぽこストリングス」というらしい。
上越市・大潟区主催の「メロディーの楽校」の一環で行われ、20人くらいの小学生が聴衆。
会場は大潟区コミュニティプラザ多目的ホール。
(すてきなホール。ここで演奏会をしてみたくなった)
プログラムは、
○アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク (モーツアルト)
○楽器紹介
○春 第1楽章 (ヴィヴァルディ)
○楽器体験
(休憩)
○演奏体験
・カルメン前奏曲に合わせてシンバルを叩く
・アンパンマンマーチを指揮する
○質問コーナー
○ソプラノ独唱(解説の寸劇付き)
・私のお父さん (プッチーニ)
○みんなで歌う
・夏は来ぬ
・Believe
○アンコール
・崖の上のポニョ
N良君の軽妙なトーク、息のあった演奏(プログラム運営?も)でとても楽しく、すてきな時間を過ごすことができた。
これはN良君がライフワークでやっている訪問演奏のほぼ基本形。
彼は「学習指導要領完全準拠訪問演奏だ」と言っていた。
なるほど、と思わされることがいくつか。それは今後また機会があったら書きたい。
N良君、ありがとうございました!
2009年9月5日土曜日
自主ゼミメモ
ゼミ合宿後初の自主ゼミ。夏休み4回目。わりとまじめにやっています(笑)
僕はいよいよ第1章の第1節を書き始める(1日1ページペースだけど…)。
2人で読み合わせて、構成や書式に違和感のあるところを指摘してもらう。
ありがたい。1人じゃ自分に甘くなって気付かないところだ。
少しずつペースを上げていきたいものだ。
相手は来週行う指導案の検討。
理論的に筋が通っているか、それでいて楽しい授業になるか…自分のバランスの悪さを自覚しつつ話し合う。ちょっとは修正できたかな?
相手は小学校音楽科授業における導入のあり方について研究中。
導入の研究だけど、ちゃんと1クラス3時間バッチリ授業するらしい。
その中で、鑑賞したり、リコーダー演奏をしたりする中で
・導入:既習曲の演奏から、「強弱」「速度」「音色」の要素を知覚する。
・基礎・基本の定着:知覚した要素とそこからかもし出される曲想や雰囲気を感受したことを関連させる。
・思考:身体表現などを用いて、楽曲にふさわしいと自分なりに要素の扱いを考える。
・表現:自分なりの表現意図をもって演奏する。
というように、一貫した視点をもって授業を組み立てているところに大変感心した。
この一貫性を守りつつ、それでいて充実した活動するためにはどうすればいいか話し合ったが、それが楽しかった。大変勉強になった。
来週実際に授業を見に行くのが楽しみ。また勉強させてもらおう。
僕はいよいよ第1章の第1節を書き始める(1日1ページペースだけど…)。
2人で読み合わせて、構成や書式に違和感のあるところを指摘してもらう。
ありがたい。1人じゃ自分に甘くなって気付かないところだ。
少しずつペースを上げていきたいものだ。
相手は来週行う指導案の検討。
理論的に筋が通っているか、それでいて楽しい授業になるか…自分のバランスの悪さを自覚しつつ話し合う。ちょっとは修正できたかな?
相手は小学校音楽科授業における導入のあり方について研究中。
導入の研究だけど、ちゃんと1クラス3時間バッチリ授業するらしい。
その中で、鑑賞したり、リコーダー演奏をしたりする中で
・導入:既習曲の演奏から、「強弱」「速度」「音色」の要素を知覚する。
・基礎・基本の定着:知覚した要素とそこからかもし出される曲想や雰囲気を感受したことを関連させる。
・思考:身体表現などを用いて、楽曲にふさわしいと自分なりに要素の扱いを考える。
・表現:自分なりの表現意図をもって演奏する。
というように、一貫した視点をもって授業を組み立てているところに大変感心した。
この一貫性を守りつつ、それでいて充実した活動するためにはどうすればいいか話し合ったが、それが楽しかった。大変勉強になった。
来週実際に授業を見に行くのが楽しみ。また勉強させてもらおう。
2009年9月4日金曜日
2009年9月3日木曜日
オリジナルな指導法を目指すために
「知覚し感じ取ったことを基に、生徒が自分なりの意見を見いだし、解釈しながら聴き取り、そのよさや味わいなどについて、音楽に関する言葉などを用いて発言したり文章に書いて表すといったプロセスをおさえた実践が求められる」
(大熊信彦 『中等教育資料 平成18年7月号』より)
これを基本形とし(いや、今はこれもできないんだけど)、授業を組み立てることが「AさせたければAをする」になる(いや、それでも学習指導要領の目標の具現化なので、違う意味で「AさせるためにBをする」になっているかもしれないが)。
「逆向き設計」ではないけれど、Bという楽しい音楽的活動があり、その活動に夢中に取り組んでいるうちに知らず知らずのうちに生徒は基本形のプロセスをおさえていた、なんてのが理想だなぁ。
合唱を何年もやってなぜか突然生まれた「タンギング唱」「ADR唱」のような、オリジナルな指導法を生み出せるようになるためのは、鑑賞教育における勉強も経験もまだまだ足りないのかもしれない。
(大熊信彦 『中等教育資料 平成18年7月号』より)
これを基本形とし(いや、今はこれもできないんだけど)、授業を組み立てることが「AさせたければAをする」になる(いや、それでも学習指導要領の目標の具現化なので、違う意味で「AさせるためにBをする」になっているかもしれないが)。
「逆向き設計」ではないけれど、Bという楽しい音楽的活動があり、その活動に夢中に取り組んでいるうちに知らず知らずのうちに生徒は基本形のプロセスをおさえていた、なんてのが理想だなぁ。
合唱を何年もやってなぜか突然生まれた「タンギング唱」「ADR唱」のような、オリジナルな指導法を生み出せるようになるためのは、鑑賞教育における勉強も経験もまだまだ足りないのかもしれない。
2009年9月2日水曜日
AさせたければAさせてしまう
ゼミの仲間が、研究の実践検証するために授業を行う。
指導案を作成しているところで相談を受けた。
指導計画を作る際、
○指導内容
○教材
○学習活動
○評価
の4本柱をしっかり関連させる必要がある、と大熊信彦先生は述べている。
このことをつい昨日調べた。
そこで、「指導内容は?」「教材は?」…と4本柱の視点からチェックしてみる。
授業のネタや組み立てはおもしろそう。
ところが、4つの視点からみてすべて理にかなっているか、筋が通っているか、となると、なかなかそうはならないのである。
例えば、指導内容を確定し、教材を定め、学習活動を考えたのに、その学習活動の中に評価する場面がなかったりする(その学習活動自体は魅力的なのに)。
では、評価する場面を想定し、学習活動を考えようとするとなかなかアイデアが浮かばない。
音楽を形づくっている要素を知覚して、そこから醸し出される曲想や雰囲気を感受して、それをもとに表現を工夫する場や技能を高める場を設定したり、楽曲を味わう場を設定し…などと順番に考えていくと、授業的に面白くなかったりする。これはAさせたければAをするようなものだ。
これはなかなか難しい。
そして、今まで書いてきた指導案がでたらめだったということをお互い確認しあった…。
指導案を作成しているところで相談を受けた。
指導計画を作る際、
○指導内容
○教材
○学習活動
○評価
の4本柱をしっかり関連させる必要がある、と大熊信彦先生は述べている。
このことをつい昨日調べた。
そこで、「指導内容は?」「教材は?」…と4本柱の視点からチェックしてみる。
授業のネタや組み立てはおもしろそう。
ところが、4つの視点からみてすべて理にかなっているか、筋が通っているか、となると、なかなかそうはならないのである。
例えば、指導内容を確定し、教材を定め、学習活動を考えたのに、その学習活動の中に評価する場面がなかったりする(その学習活動自体は魅力的なのに)。
では、評価する場面を想定し、学習活動を考えようとするとなかなかアイデアが浮かばない。
音楽を形づくっている要素を知覚して、そこから醸し出される曲想や雰囲気を感受して、それをもとに表現を工夫する場や技能を高める場を設定したり、楽曲を味わう場を設定し…などと順番に考えていくと、授業的に面白くなかったりする。これはAさせたければAをするようなものだ。
これはなかなか難しい。
そして、今まで書いてきた指導案がでたらめだったということをお互い確認しあった…。
2009年9月1日火曜日
AさせたければBさせよ
学会で、Oliver Kramer氏(ロストック音楽演劇大学教授・ドイツ・ベルリン州)の講演があった。
その中で、大変興味深い話がいくつかあった。
ドイツの音楽教育の基本は、
「音楽は人生である」
ということだそうだ。
そのために、
・文化的アイデンティティを育てる
・学校では様々な体験をすべきである
ということを重視しているそうだ。
これは、新学習指導要領のスタンスとよく似ていると思う。
また、実際の学校教育現場では、
・生徒が能動的に学ぶ
・自己責任をもたせる 積極的コミュニケーションを取らせる
・繰り返し思考し、対話する
ことを目指しているそうだ。
これも、よく似ていると思う。
そのための実践発表もあったが、特に身体表現を重視するあたりで実践学会の発表と重なる部分が多かった。
ベルリンでは音楽を演奏したり創作したりすることと同じように、音楽を形成する行為として「音楽を他の表現方法に移しかえる」ことを目指しているそうだ。
芥川の小説ではないが、「つくりかへる力」は日本独特の力だとも思う。これを生かせないものか。
また、「AさせたければBと言え」という名言があるが、「AさせたければBさせよ」という授業が必要かもしれない。
生徒が夢中になって取り組みBという活動をしている中で知らず知らずのうちに、Aという知覚・感受する力が身についていたり、経験・分析・思考するプロセスを経験していたり…。
それが、身体表現であったり、図形楽譜であったり、ベルリンでの「彫像を作る」という実践であったりするのだろう。
そう考えると、自分の研究授業は直接的すぎた…そこからのひとひねりが…でもそれが難しいんだけど。
その中で、大変興味深い話がいくつかあった。
ドイツの音楽教育の基本は、
「音楽は人生である」
ということだそうだ。
そのために、
・文化的アイデンティティを育てる
・学校では様々な体験をすべきである
ということを重視しているそうだ。
これは、新学習指導要領のスタンスとよく似ていると思う。
また、実際の学校教育現場では、
・生徒が能動的に学ぶ
・自己責任をもたせる 積極的コミュニケーションを取らせる
・繰り返し思考し、対話する
ことを目指しているそうだ。
これも、よく似ていると思う。
そのための実践発表もあったが、特に身体表現を重視するあたりで実践学会の発表と重なる部分が多かった。
ベルリンでは音楽を演奏したり創作したりすることと同じように、音楽を形成する行為として「音楽を他の表現方法に移しかえる」ことを目指しているそうだ。
芥川の小説ではないが、「つくりかへる力」は日本独特の力だとも思う。これを生かせないものか。
また、「AさせたければBと言え」という名言があるが、「AさせたければBさせよ」という授業が必要かもしれない。
生徒が夢中になって取り組みBという活動をしている中で知らず知らずのうちに、Aという知覚・感受する力が身についていたり、経験・分析・思考するプロセスを経験していたり…。
それが、身体表現であったり、図形楽譜であったり、ベルリンでの「彫像を作る」という実践であったりするのだろう。
そう考えると、自分の研究授業は直接的すぎた…そこからのひとひねりが…でもそれが難しいんだけど。
登録:
投稿 (Atom)