2009年9月25日金曜日

「情報化」と「情報処理」~僕の授業は…?

養老孟司・久石譲 『耳で考える』 角川oneテーマ21 2009年9月

養老先生が次のように述べている。

「今は「情報」という言葉があまりにも普通に使われていているから皆さんピンと来ないかもしれないけど、自分が見ている世界を言葉にする時、それ一つだけをよく見れば書けるというものではないんです。それを書くためには、他のことをたくさん、しかもよくわかっていないと、的確に表現することはできない。
 これに対して、あの人はこう言っている、この人はこう言っている、これとこれとは理屈でいえば矛盾しているだろうとか、あそこにはこう書いてあったとか、そういう他の人の言っていることや書いていることを上手に整理してまとめていくのは「情報処理」なんです。
 ものを書く、ものをつくるとは、情報化すること。「情報化の作業」と「情報処理の作業」は全く違うんですよ。」

ドキッとした。
僕のやっている鑑賞授業は、「情報処理の作業」ではないか。
もちろん、本当は「情報化の作業」でありたい。
「生徒が批評文が書けない」理由がはっきり分ったような気がする。
(ただ、そのための手立てにとっても時間をかけたい、でもできない、というジレンマが生まれる)
齋藤孝先生も、「情報を自分にくぐらせる」という表現を使っていたが、それが「情報化の作業」と言えるのではないか。
聴いた楽曲について、「情報化の作業」をすることができる生徒。
それは、具体的に何ができる生徒なのか。そのために必要な能力は何か。どんな授業(活動)が有効か。

そして。
自分の論文はちゃんと「情報化」しているか? 単なる「情報処理」になっていないか?
これが一番の問題かもしれない…。

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