「授業刺激として子どもが受け止める情報はの解釈は(中略)、子どもが持っている情報のプール(あるいは、概念組織または概念網)の中を通すことによって行われる」
(宇佐美寛 『宇佐美寛・問題意識集7 論理的思考と授業の方法』明治図書 2003年)
これは、齋藤孝先生の言う「自分をくぐらせる」ということと、よく似ていると思う。
情報のプールが貧弱だと、情報の解釈も貧弱なものとなる。
だから宇佐美先生は課題図書を課すのか…。
では、子どもにとって「音楽情報のプール」って…?
まず、子どもがそんな意識、もっていないだろう。
「情報処理」ばかりで、「情報化」する聴き方なんて、ほとんど意識的には行われていないだろう。
「ことば」でないので、共有することも難しい。音楽をことばに変換することも、ほとんど意識的には行われていないだろう。
そう考えると、音楽情報のプールが充実すれば、他教科・他分野の学習をする際の情報のプールも充実するんじゃないかな?(逆もしかり)
授業の最初の段階で、
・楽曲との印象的な出合い
・それとともに、現時点での自分の音楽情報のプールの確認
が、難しくなくできるといいのだが…。
もしくは、情報のプールを充実したものにするため、「とにかくたくさん聴く」という経験をさせたい。でも時数的には無理。ということは、たくさん聴いて情報のプールを充実させたい! と子どもが思うような授業をすることが肝要なのではないか。
さて、私の音楽情報のプールはどうなっている?
…けっこう貧弱かもしれない…読書+音楽鑑賞を私自身がたくさんしなきゃ。
0 件のコメント:
コメントを投稿