2011年2月8日火曜日

矛盾

斎藤孝氏も、宇佐美寛氏も、著書の中で、「教えることをしなくてもいい状態にすること」が授業や指導の目指すことだと確か述べていたと思う。

ドラッカーも「マーケティングの理想は販売をしないこと」と述べていたらしい。

同じゼミの人に、僕は偉そうに「導入は、「導入が必要ない状態にする」ために必要なのではないか」と述べたことがある。

合唱で、究極の理想は、「僕がいなくても成り立つこと」(指揮者がいない、練習が必要ない)ことだと考えている。

学級でも、理想は「学級担任の匂いがしないクラス」だ。

授業しなくてもいい状態とは何か。そのために何をすべきか。
担任がいなくてもいい学級とはどういう学級か。そのために何をすべきか。

「対話型鑑賞授業」「対話型学級経営」は、それを必要としない状態に結び付いているか…?

理想の状態と、目の前の生徒とのギャップは何か?

そして考えると体が動かない…(実践力の低下)

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