*以下の文章は安野功先生の『社会科の授業が対話型になっていますか?』(明治図書)のパロディーのつもりです。安野先生の著作に敬意を表し、少しでも近付きたいと考えております。
<眼はそれを追い求めるものしか見つけることはできない>
これは、フランスの警察に掲示してある言葉だそうです。(確か向山洋一先生の著書の中で知りました)。
そして、以下のように言い直すこともできるでしょう。
<耳はそれを追い求めるものしか聴きとることはできない>
私が中学生の時の、給食の時間の話です。
私の学校ではグループごとに向かい合って歓談しながら毎日給食を食べていました。
ある時、同じグループの級友が私に言いました。
「ちょっと耳を澄ませてみろよ」
それまで、給食中の私の耳には、友達の話か校内放送くらいしか入ってきませんでした(むしろ食べることに夢中だったかもしれません)。
私は、初めて給食中に周囲の音に集中してみました。
「ズズーッ ズズーッ」
その日の給食は麺類でした。私は、クラスのみんなが麺をすすっている音を人生で初めて知覚しました。今まで気付かなかったのが不思議なくらい大きな音で驚いたことを今でも鮮明に覚えています。でも、級友に言われなければ私は気付くことなく中学を卒業していたでしょう。
あまり品のよい話ではありませんでしたね…。もう少し上品な話にしましょう。
大学時代、教養科目の中の「音楽」という授業を聴講しました。教材はワーグナー作曲楽劇《マイスタージンガー》です。まず前奏曲を聴きます。出だしからかっこいい音楽が流れますが…当時の私は聴きながらだんだん意識がもうろうとしてきました。結局わけもわからないまま10分ほどが過ぎました。その後、先生が楽譜を配って解説をはじめました。前奏曲の山場で、個性が全く違う4つのライトモチーフが同時に進行して1つの完成された音楽を形づくっているところです。これには驚き、感動しました。最初に聴いた時は全く気付かず、単なる音の羅列としか思えなかった(そして眠たくなった)のですが、実は計算されつくした構造で、意味あるものになっていたとは…。
それから聴き直してみると、確かに1曲の音楽の中に、4つのライトモチーフが同時に聴こえてきます。何回か聴いているうちに、この山場を聴くのを心待ちにするようになって、この曲を短く感じるようにもなりました(つまり眠たくならなくなりました)。もちろん、その後楽劇そのものを鑑賞する際も、ライトモチーフが頭に入ってから聴くことができたので何も知らないよりは興味をもって楽しむことができました。
これも、この授業を聴講しなければ、一生知ることのない経験だったと思います。
<耳はそれを追い求めるものしか聴きとることはできない>
音楽を形づくっている諸要素は、自分自身で探すよりも、他者とのかかわりの中でヒントを得たり教わったりする方が、よく気づくことの方が多いかもしれません。
鑑賞の授業では、教えるべき内容をきちんと教えて気付かせたり、クラスの仲間とのかかわりの中で気付いていったりすることを大切にしたいものです。
2011年7月29日金曜日
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