私が学生時代の話です。
友人Aは、大学の管弦楽団に所属して、熱心にヴァイオリンに取り組んでいました。そんな彼は幼少時からピアノを習っており、絶対音感がありました。ある時、雑談の中でAは私に言いました。
「俺、嬰へ調の曲を聴くと、柑橘系の色というか、気温が高いイメージがするんだよね」
私は絶対音感はありません(相対音感もありません。きっと大体音感なのでしょう)。パッとその曲を聴いて何の調かも聴きとれない私にとってはAの話は「???」でした。
この話を私は友人Bにしてみました。Bは大学で声楽を専攻しており、積極的に合唱活動に取り組んでいました。やはり彼も絶対音感を持っていました。Aがした話を聞いたBはすぐにこう言いました。
「あぁ、そういえばTUBEの『ああ夏休み』は嬰へ短調でしたね」
私はびっくりしました。この2人は「嬰へ調」という要素から、何かしらイメージを感じ取ることができているのです。しかもそのイメージは共感しあう部分があったのです。
私は「調性」という要素から醸し出される雰囲気を感じ取ることが自分に欠けているということを痛感しました。今でも苦手ですが、この経験から自分が音楽活動をする際、楽曲分析やコンサートの選曲などの場面で調性を意識するようになりました。
学生時代に私が立ち上げて指揮している合唱団があります。その合唱団が、まど・みちおさんの「ことり」という詩に私の大学の先輩が作曲した無伴奏混声合唱曲を練習していた時のことです。作品は、基本的に教会旋法風なメロディーと短調のハーモニーによって形づくられています。私は練習中の雑談で、「やっぱり新潟の人だよな(私も先輩も)。空をイメージする時は曇り空だよ」と言いました。そうしたら、あるメンバーから「そうかな? 私は透き通るような青い空だと思うよ」と声が上がりました。
私はハッとしました。私は、
短調の響きが鳴る → 暗い感じがする → 曇り空
というようにイメージしました。
しかし、空を見上げた時、悲しくなるくらい青い空のように感じることも確かにあります。その気持ちが短調の響きや教会旋法のメロディーと相通ずる部分があってもおかしくありません。私は安易な気持ちでイメージを語ったことを後悔しました。
同じ要素(短調の響き)から、どのように感じ取るかは、人によって違うことの方が多いようです。人によって感じ方が違うことを知ることも楽しいですし、もちろん、先の「嬰へ調」の話のように、感じ方が一緒だということが分かった時も楽しいでしょう。
鑑賞の授業では、音楽を形づくっている諸要素を知覚し、そこから醸し出される雰囲気や曲想を感じ取ることが大切であり、その時もやはり「人とのかかわり」を抜きに語れないようです。
2011年7月31日日曜日
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