2011年8月5日金曜日

音楽鑑賞の授業が対話型になっていますか? 3

私が教員になって4年目の時。学校全体が盛り上がる校内合唱コンクールが近づいてきました。生徒との話題も、合唱コンクールの話が多くなります。私は合唱部の顧問で、部員の何人かと雑談中、やはり合唱コンクールの話になり、ピアノ伴奏の生徒で誰が上手か、という話になりました。

その輪の中に、Cという生徒がいました。Cさんはピアノが堪能で、歌も上手です(卒業後音楽科のある高校へ、そして音楽大学、さらに大学院と、声楽専攻で進学しました)。Cさんは、「Dさんのピアノはとても上手です」と言いました。私も同感でしたが、正直、Dさんのピアノのには何か物足りないものを感じていました。Cさんは続けて、「でも…なんかこう…」私はCさんが何と言うか興味をもちました。「アツさが足りないんです」その瞬間、私は「それだ!」と思いました。Dさんの演奏に対して、私とCさんが感じ取ったことが同じだったのです。このように、演奏に対しての価値観を共感できたことを嬉しく思ったのでした。

教員14年目の今、実はものすごく反省しています。
「では、なぜアツさが足りないと感じるのか。どうすればアツい演奏になるのか」という問いを私はもち、Cさんにその問いを投げかけるべきでした。
さて、その問いにどのように答えればよいのでしょう。そしてその答えを共感するためにはどうすればよいのでしょう。
例えば…強弱の差があまりついていないから感情の起伏が乏しく聴こえたのか、テンポの揺らぎがあまりないから淡々と聴こえたのか…このように、音楽を形づくっている諸要素と、そこから醸し出される雰囲気や曲想を根拠にして語ればよかったのです。

しかし、このことは大変難しいことです。現に、新聞記事が正しくこれをできていません。私はある時期、音楽に関する新聞記事をスクラップしていたことがあります。音楽をどのように読者に伝えているか、ということに関心をもったからです。ところが、その中には、「音のハーモニーが素晴らしかった」「息の合った音色が響いた」などという、感じ取ったことと知覚した諸要素が噛み合わない、意味不明な記述がありました。実は、これらの報告はまだ音楽の内容を伝えようとしていますが、多くの新聞記事はそこに踏み込もうとせず、演奏会周辺の話題ばかりで記事を構成していることが多いのです。これでは音楽が読者に伝わりません。私はスクラップを始めて半年後、がっかりした気持ちになって新聞記事集めをやめました。

鑑賞の授業では、生徒が知覚・感受したことを根拠に自分なりの価値判断ができるようになるようにしたいものです。そう、「批評」ができるような生徒を育てたい。批評をすることは自分なりの聴き方の意識化と、他者の聴き方の理解につながり、批評し合うことでさらに鑑賞の能力が高まると考えられます。そしてここでも、やはり人とのかかわりは欠かせませんね。

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