授業について述べる前に…。
先日、ある研修に行った時のこと。
世の中には「○○教育」って言葉が、たくさんありますよね。そのうちの1つについての研修だったのですが…。
その「○○教育」の「教育(授業)の内容」が何項目かあって、
・~~~であることを伝える
・………であることを伝える
というのがずらっと並ぶんです。
私には「これって、授業と言えるのか?」と違和感があったんです。
ただ、最後の項目だけ、
・生徒が△△△できるように指導する。
とあって、「これは授業でしかできない!」と納得できたんです。
(でもその前の何項目ある内容を「伝え」たからと言って、目指す指導になるとはちょっと思えなかったのですが…)
このように、現場と理論には、ちょっと壁がある。
怒られるかもしれないけど、
「○○教育」=「○○の授業」
という図式は成り立たない。
「○○教育」を具現化するために、「○○の授業」をする
のだと思う。
だのに、こういう研修に限って、「教育」について語られるのに、「授業」そのものについて語られることはほとんどない。教育を語れば授業を語ることになると勘違いしている。そう、リアリティがない。それが違和感であり、つならなさになる。
つまり、同じように考えると、
「音楽教育」を具現化するために、「音楽の授業」をする。
「音楽鑑賞教育」を具現化するために、「音楽鑑賞の授業」をする。
となる。
ところが、「音楽鑑賞の授業」について語られる場はなかなかない。
(あれ? 「音楽鑑賞教育」についても…?)
語る場がなければ、自分で作るしかない。
というわけで、次回から(こそ)、音楽鑑賞授業について、それを対話型にすることについて、述べていきたいと思います。
2011年8月9日火曜日
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